20年ほど前、勤務先が築地にあり、毎年築地市場近くの波除神社に初詣に出かけていた。波除神社の祭神はお稲荷さんで「災難を除き、波を乗り切る力を授けてくれる神社」として地元の人々や築地市場関係者、近隣に勤務のサラリーマンに親しまれており、遠くからパワースポットの御利益にあずかりたいと観光客も大勢参拝に来ていた。神社には築地市場関係者により生活の糧である魚介類の恵みに感謝して、供養塚がいくつも建てられている。魚河岸で活魚を扱う仲買の団体による活魚塚、鮟鱇の仲買商による鮟鱇塚、てんぷら料理協同組合と海老仲買業者による海老塚などが建立されている。
寒川神社の裏手にある興全寺に祀られている動物は?
相模線に乗って宮山駅で降り、寒川駅方面へ10分近く戻ると約1600年前に創建された歴史ある八方除けで有名な相模國一之宮寒川神社があり、参拝客で賑わっているが、その裏道に面している曹洞宗龍寶山興全寺には墓参りの人以外に訪れる人は少ない。その境内にはこの付近一帯で養豚業など畜産業が盛んだったこともあり畜霊碑があるが、その右横には「ペンドレーバグルボーイ二世号之墓」と刻まれた墓碑が建てられている。これは高座豚の祖となったヨークシャー種の種豚の墓碑である。1931年にイギリスで誕生したバグルボーイは、高座郡農会により日本に輸入され生涯で種付けをした数は600頭以上で、その子孫たちは品評会で好評を博し、「高座豚」の名を全国に知らしめた。墓碑はその功績を讃えて町畜産組合養豚部によって1959年に建てられたもので、毎春、畜産会員及びその関係者により供養のための畜霊祭が行われている。
日本では他にどのような動物が供養されているのか
私が実際に訪れて見たのは波除神社と興全寺だけだが、日本では他にどのような動物が供養されているのだろうか調べてみた。長野浩典著による「生類供養と日本人」よれば、生類の墓や供養塔は日本全国に数多く存在し、動物の種類も多いとのことである。海に生息する動物としては、海亀、鯨、魚,貝、蟹など、山に生息する動物としては、猪、熊など、里に生息する動物としては、蝗(イナゴ)、蚕、鶴、牛、馬、犬、鹿などの供養塔がある。珍しいところでは京都の曼珠院には日本で唯一の発酵を助ける菌を供養する「菌塚」が1981年5月に元大和化成株式会社社長笠坊武夫氏により酵素抽出に無数億の微生物を犠牲にしてきた思いから建立されている(註1)。高野山奥の院に続く参道沿いには家屋の害虫として駆除されたシロアリを供養するため1971年4月に社団法人日本しろあり対策協会が「しろあり供養塔」を建てている(註2)。大手家庭用殺虫剤メーカーの業界団体である日本家庭用殺虫剤工業会でも人間の快適な生活のために犠牲となった虫類の「虫慰霊祭」を毎年1月中旬出雲大社神殿(大阪別院)で実施している(註3)。
(註1)「菌塚のホームページ」
(http//kinduka.main.jp/)
(註2)「社団法人日本しろあり対策協会ホームページ」しろあり供養塔」
(https//www.hakutaikyo.or.jp/)
(註3)「日本家庭用殺虫剤工業会ホームページ」新着情報 虫慰霊祭」
(https//www.saccyuzai.jp/)
日本人はどうして動物を供養するようになったのか
生きている動物に対する愛護精神が高い西洋世界でもペット類についてお墓を作って埋葬することはあるが、ペット以外の動物については、日本のように死んだ動物を供養する風習はないようだ。西洋のキリスト教文化は自然に徹底的に介入し、抑え込もうとする人間中心主義的な自然観、動物観であり、魂を持っているのは人間だけであり、動物は人間に利用されるために神がつくりたもうたとするもので、動物を神に捧げる「供犠」が行われる。供犠は神との契約であってこの契約を遵守することで人間の動物に対する優位性を神から保証されるというもので、人間と動物は厳しく峻別される。
これに対して、日本では人間と自然や動物との間には明確な区分がなく、人間も動物も自然の一部であるとの独特の自然観、動物観が一般的である。加えて仏教の輪廻思想や不殺生という考え方が影響を与えている。生まれ変わったら次は犬や猫になるかも知れないと考えると人間の命も犬や猫の命も等しく大事なものと考えるようになる。不殺生については動物の命をむやみに奪ってはいけないということであるが、実際には人間は他の動物を殺生しなければ生きていけない。人間が生きるために犠牲となった命に痛みを感じ感謝し、人間の命と自然の命と動物の命は別々のものではなくつながっているという考えが日本の自然観や動物観に存在している。このような考えから日本では動物が神話や伝説に基づく信仰の対象になったり、祟りを恐れられたり、人間の生活に役に立つ動物として感謝されたり、生業を営むために殺傷されその贖罪意識から供養されるようになったのである。