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死の奇襲へのゆるい備え。覚悟は幸福。正常化バイアスの破壊。

何気なく日常を送る日々に「死」が奇襲をかけてくることがある。病気やケガをしていなくても、自身に、家族友人に。ある意味では「死」ほど身近なものはないはずなのに、我々はそれを無視することで生きている。明日も明後日も変わらぬ毎日が来ると漠然と考えて生きている。

死の奇襲へのゆるい備え。覚悟は幸福。正常化バイアスの破壊。

90年代に流行した言葉 「終わりなき日常」

90年代に「終わりなき日常」という言葉が流行した。今日も明日も明後日も同じような日常が続いていく。社会学者・宮台真司が人生に意味を見い出せない若者たちを分析した言葉である。しかしこれがいかに絵空事であったか。東日本大震災を始め、多くの災害に見舞われたこの10年の間に我々は嫌というほど思い知らされた。それでもなお、我々は死を生の一部として考えていない。震災の時も自分だけは大丈夫という意識が多くの人の避難活動を妨げた。

正常化バイアスを知る

西日本豪雨(平成30年7月豪雨 2018年6月28日〜7月8日)の時も、浸水を危惧して避難を促した息子に父親が何の根拠もなく拒否して押し問答となった映像が話題になった。先日も新型コロナウイルス感染の危険により、中国から帰国した人達の中で2名が検査を拒否したという。理由は不明だが、検査を拒むという人は一定数いる。自分は大丈夫、まさか自分はならないだろうと、自分の世界とテレビやパソコンの向こう側の世界を別物として分けて認識している。どうも我々は何の根拠もなく自分が死ぬという発想が浮かびにくくできているようだ。そのような心理状態を心理学では「正常化バイアス」と呼んでいる。生きていればいつか必ず死ぬ。それは間違いないはずなのにその恐怖をリアルに感じながら日常を過ごすことはない。いつか来る未来であっても、いま、ここにある危機とは考えないのである。人間には死を無意識に避ける本能が備わっているのかもしれない。いつも死のことを考えて生きていくのはしんどいのも事実である。

覚悟する人生

禅にこんな話がある。信心深い老婆が「私はいつお迎えが来てもいいですよ」と言いながら毎日寺を参拝していた。ある日小坊主が本尊の後ろから「では迎えに来たぞ」といたずらをしたら老婆は驚いて死んでしまった。老婆は口ではいつ死んでもよいと言いつつ実はリアルに考えていなかったのである。つまり自分をごまかして生きていたのだ。

ジョジョ第6部のプッチ神父の思想

そんな生き方は真実の人生ではないと主張したのが荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」(週刊少年ジャンプ1999〜2003連載)のラスボス・プッチ神父である。この作品はスタンドという超常能力を持つ者同士の戦いが描かれており、プッチ神父は「世界の歴史を一巡させる」スタンドを持っている。

この能力は発動することで世界が一巡し、全人類の一生も一巡して元に戻る。人々は自身のこれからの一生を一度見ることになり、その記憶を持ったまま生きることになる。つまり自分の死期もわかるということだ(正確な記憶は曖昧だが感覚で残っている)。その目的は死を知ることで「覚悟」を持って生きられることだという。覚悟を持つ人生は死の恐怖から自分をごまかして生きる薄っぺらい人生ではなく充実した真の人生を送れるということだ。作中での有名なセリフとして「覚悟は『幸福』だぞ」がある。

了解する人生

死の覚悟があるとなぜ充実した人生になるのか。明日死ぬなんて考えても暗くなるだけではないか。死ぬなんて考えたくもない、こんな元気なのに死ぬわけがない。災害なんてめったに起こらないし、起きたとしてもそこが広い地球上で自分がいる場所である可能性などほとんどない。明日は必ず来る、明日も変わらず生きている。しかしそのような正常化バイアスは限りある人生を無為に消費していないか。大切なことも先送りにする適当な毎日が続く原因になっていないか。

プッチ神父とマルティン・ハイデガー

プッチ神父の思想はマルティン・ハイデガー(1889〜1976)の「死の先駆的了解」の「通俗的解釈」そのままである。ハイデガーも、人間は「死」という漠然とした不安を持ちつつも正面から真剣に考えることはせず、目先の仕事や娯楽によって不安を回避し逃避している(頽落 verfallen)としている(注)。いずれにせよ「死」という事実から目を逸らさず真剣に生きようということなのだが、そうできないのが人間である。だから「頽落」して生きざるをえない。

それでも目を背けていてはいずれ「死」の奇襲を受ける。覚悟とか存在とか大仰な話ではなく、凡人らしく気張らず、もう少しユルく「死」とつきあえないか。実は我々をそれをしているのである。それは死の現場に立ち会うことである。葬儀や臨終の現場はその練習となる。自然と死を自覚し、先駆的了解がなじんでくる場となる。

注:あくまで世間に流布している解釈である。本来のハイデガーの死生観はそのような単純な人生論ではない。プッチ神父の思想では生と死は分離されてしまうが、ハイデガーは生死は一体であるとする仏教の「刹那滅」に似た思想を展開しつつ存在することの驚異、奇跡を説いている。

次はお前だ

旅行は期限があるから楽しいのである。延々と終わらない旅とは恐ろしいことだ。生きることが旅ならばいつか終わる。終わるからこそ生きられる。だから死がないと困るし、死を考えないのは困るのだが、死が特定されるのも困る。

日常の中で時折ある葬儀で死者と接することで、いつかのその時に慌てないための「ユルい覚悟」を養うことができる。これがないといざという時、怖い。あっても怖いかもしれないが、普段の心構えの差は大きい。

昨今は葬儀離れが進み、特に若い層は葬儀、つまり死者と触れ合う機会が少なくなってきている。機会があるなら義理だけで出るのはもったいない。メディアの報道とは違うリアルな「死」と触れ合う貴重な場である。「死」をユルく自覚して人生を生かす場にしよう。そこでは死者がユルく正常化バイアスを壊してくれるはずだ「次はお前だ!」と。

参考資料

■荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第6部(40~50巻)セット」集英社文庫(2009)
■マルティン・ハイデガー著/細谷貞雄訳「存在と時間」ちくま学芸文庫(1994)

ライター

渡邉 昇

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