送の方式はと聞かれればほとんどの人は火葬、もしくは土葬と答えるだろう。最近では散骨がそれに続くかもしれない。1970〜80年代にはオカルトブー厶の到来や、秘境・魔境探検を銘打ったドキュメンタリーが人気を博すなどし、猛禽類に死体を食べさせる鳥葬の存在がしばしば伝えられた。興味本位な視点の要素も大きかったが、遠い世界の風景が垣間見えたものである。日本人には馴染みが薄い鳥葬に込められた意味とは。
鳥葬を行う人たちは少なくない
鳥葬はチベットのものが有名で日本でもよく知られているが、鳥葬を行っている民族・宗教は少なくない。古代ペルシア(イラン)で隆盛を極めたゾロアスター教もそのひとつでチベットの鳥葬はゾロアスター教の影響があるともいわれる。ゾロアスター教ではハゲタカなどの猛禽類は死体を食うように神が創りえた存在であるとされ、自己の死体を鳥に与えることは人生最後の布施行とされる。
自らを捧げる行為は宗教上、大変な功徳とされている
現代に生きる日本人としては鳥葬はいかにも奇異に見えるが、自己の身体を生命ある者に捧げる行為は仏教では「菩薩行」として大変な功徳とされている。法隆寺・玉虫厨子の「捨身飼虎図」には釈迦が前世において飢えた虎とその7匹の子のために身を投げ与えたという物語が描かれている。食物連鎖などの自然の摂理を考えれば鳥葬は火葬や土葬以上に大自然に還る意味を持つ崇高な儀式ともいえるだろう。
イランには鳥葬の専用施設が残されている
イラン・ヤズドには「沈黙の塔」(ダクマ)と呼ばれる鳥葬用の施設が残されている。石で作られた施設内には遺体を置く台があり、猛禽類に食べさせるようになっている。また腐敗しても乾燥地帯なのでやがて風化し、残された骨も乾燥され漂白する。これらは中央の井戸に投げ込まれて砕かれ土に還る。一見無残な有様にも思える鳥葬だが、乾燥地帯の地理を有効に活用した衛生的にすぐれた葬送方式であった。現在では周辺に住民もおり、ハゲタカなども生息しておらず「沈黙の塔」はヤズドの観光地として有名になっている。
ゾロアスター教が土葬を良しとしない理由
ゾロアスター教が鳥葬を採用しているのは功徳や衛生面だけでなく、火葬や土葬にはできない理由もある。ゾロアスター教では霊魂と分離した遺体は放っておくと悪魔に支配され不浄なものとなるとされる。そのため遺体は早々に処分しなければならず、葬儀は死の当日に行われ葬儀人など専門的な職種にある人以外は近づけなかったという。「沈黙の塔」のような専用の施設を建設した理由は、穢れた死体を大地に接触させないためであった。従って土葬は厳禁ということになる(本来古代ペルシアでは土葬が主であった)。
ゾロアスター教が火葬を良しとしない理由
火葬については元々古代社会において多くはなくインド以外にはあまり見られない。火をおこすこと自体が困難だったという実用的な問題もあったと思われる。さらにゾロアスター教は「拝火教」と呼ばれるように火を神聖なものとして崇めている。火は宇宙の真理(アシャ)が具体的な形象を帯びたものとされており、不浄な死体を焼くことは火を穢すことになる。従って火葬は厳禁である。ゴミを焼くことすら許されず、清潔で乾いた木と捧げ物のみであったという。多くの文化において火は水と並び浄化の象徴である。キリスト教における煉獄の炎は罪を焼き滅ぼし浄める。真言密教では護摩の火で煩悩を焼き尽くすとされ、真言密教が用いる「胎蔵曼荼羅」には煩悩を浄化する燃える三角形が描かれている。神社仏閣で行われる古いお守りなどを焼くお焚き上げは我々にはお馴染みの光景だろう。いずれも火は神聖なものであることは共通しているが、ゾロアスター教においては神聖なる火が不浄な死体を浄めるということにはならず、かえって穢れてしまうのが興味深い。そして鳥葬にはもうひとつ意味が込められている。
ゾロアスター教が鳥葬を採用している最大の理由は天空への憧れだった
鳥葬は鳥が死者の魂を天上界に運んでくれるという意味も含まれている。現実世界で唯一天空を飛ぶ存在が鳥類である。死体を鳥が食べることでその魂も天に昇るのは視覚的にも容易にイメージすることができるだろう。
人間にとって天空は見果てぬ夢であった。天国にしろ極楽にしろ死後の世界、神々の世界は天上にある。神話の神々の体系で頂点に位置するのは天空神か太陽神であることが多い。ギリシャ神話の最高神は天界を治めるゼウスであるし、日本の八百万の神々の頂点に位置するのは天上界(諸説あり)である高天原におわす太陽神・天照大神である。アリストテレス(BC.384-322)はこの世は月を境界として、天上界と月下界(地上)から構成されているとし、地上は破壊と生成が繰り返される世界、天上界は完全な世界であるとした。空を飛べぬ人間は天空を仰ぎ理想の世界を夢想したのである。
変わったところでは西欧の黒魔術に憎い敵の髪と爪を生肉に仕込みカラスに食べさせるという呪術がある。呪われた者の魂はカラスに地獄に連れていかれるという。ベクトルは真逆ながら鳥が魂を運ぶとされてきた名残りだろうか。
憧れてはいるものの不可侵の領域でもある天空
一方で人間は天空に憧れながらも決して及ぶことのできない現実を自覚していた。ギリシャ神話のイカロスは蝋の翼を太陽に溶かされて墜落して海に沈んだ。天に届かんとして建設されたバベルの塔は神の怒りを買い雷撃によって崩壊した。人間が肉体を持ったままで天に昇るのは難しい。鳥葬には空を舞う鳥に魂だけでも運んでもらいたいという切なる思いを感じる。
現在鳥葬は猛禽類の減少などで存続が危ぶまれているという。また鳥葬施設の使用もインド・パキスタンのみで欧米では拝火寺院すら無く、ゾロアスター教の伝統的慣習の衰退が危惧されている。しかし人間に天空への憧れがある限り鳥葬は続いていくだろう。
誤解されがちなゾロアスター教の鳥葬だが…
古来より血肉を嫌う日本人は鳥葬を理解するのは中々難しいかもしれない。カラスなどが死体を啄む姿は戦争や飢饉で荒廃した情景としてよく描かれるところである。しかしあらゆる慣習には意味があり、掘り深めていけば人類共通の思いを見出すこともできる。ゾロアスターの鳥葬もそのひとつである。
参考資料
■岡田明徳「ゾロアスター教ー神々への讃歌ー」平河出版社(1982)
■岡田明徳「ゾロアスターの神秘思想」 講談社現代新書(1988)
■青木健「ゾロアスター教」講談社選書メチエ(2008)
■メアリー・ボイス/山本由美子訳「ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史」講談社学術文庫(2010)
■香月法子「パールシー社会における『保守派』と『改革派』の対立構造」現代インド研究第1号(2011)