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仏教者の中でも大人気の真言宗開祖 弘法大師・空海の即身成仏と現実肯定の哲学

仏教者の中でも真言宗の開祖 弘法大師・空海(774〜835 )は非常に人気がある。真言宗自体は浄土真宗など鎌倉仏教系に比べ規模は小さいが、空海の知名度の人気は圧倒的である。空海の思想とは、密教の本質とは何か。


空海こそ日本オカルト・スピリチュアル界の代名詞

80年代のオカルトブームは空海・密教熱に火をつけた。「孔雀王」「帝都物語」など、法力を身につけた密教僧が呪文(真言)と手印を駆使して悪霊や悪しき呪術師と戦う能力バトルは漫画や小説の世界ではひとつのジャンルを成している。世紀末ブームと相まって密教のもつ神秘的なイメージは、閉塞感が漂う現実の世界を変革してくれるような幻想を提供してくれたのである。
また近年ではスピリチュアルブームの波に乗り、癒しを求める女性にも人気を博している。「高野山カフェ」などの催しは連日満員、美術館で空海展や密教美術関係の企画展を行なえば大盛況である。

最近こそ陰陽師・安倍晴明に押されがちであるが、空海こそ日本オカルト・スピリチュアル界の代名詞である。実はそのような評価は近年までの識者らの評価とあまり変わっていない。明治以降ごく最近まで空海も密教も異端の仏教、オカルト扱いであった。


貴族仏教・祈祷仏教という低評価だった空海の真言密教

空海の開いた真言密教と最澄(767〜822)の天台教学の平安仏教は大きく2つの点で近代仏教学からは不当な評価をされていた。

1つには貴族仏教とされたことである。確かに彼らは国家鎮護のために祈祷、つまり呪い(まじない)を行った。貴族にとりいり、民衆から遠ざかった御用仏教だとされたのである。
2つめはその祈祷が近代の仏教関係者から嫌われた。仏教を高度な哲学として好む明治のインテリは、護摩を炊いたりなどのまじない師もどきの所業として見下した。中でも鈴木大拙(1870〜1966)は、日本人の霊性(宗教的感性)は鎌倉仏教から始まったとし、空海や天台宗開祖・最澄の平安仏教やそれ以前の奈良仏教にはなかったと手厳しい。

それでも最澄に関しては、鎌倉仏教の祖師たちが天台宗の総本山 比叡山延暦寺の出身であることで、最澄自身が未完成に終わった天台教学を評価しない人でも、仏教史に与えた影響については認めざるをえない。一方で空海に対しては時の政府にとりいった「俗物」「大山師」などと酷評されていた。


空海が再評価されたのは戦後だった

戦後、空海の思想が再評価されたのは宮坂宥勝(1921〜2011)ら密教学者や梅原猛(1925〜2019)などの一連の著作に寄るところが大きい。その結果、知名度が上がると共に密教の神秘的な側面が作家などの題材にされ今日の人気に至る。
一方でカルト系教団の勃興にもつながる副作用もあった。しかし本来の空海の思想は現実逃避、現実否定につながりやすいオカルト的なものとは相反する。むしろ現実世界を肯定し生命の素晴らしさを説いたものであった。その真髄が「即身成仏」である。


即身成仏とは

密教の究極は「即身成仏」にある。成仏とは悟りを開いて仏(ブッダ=目覚めた者)になることであり、死んで「仏様」になることではない。日本では成仏とは死後に極楽なり天国なりに行くことだとされる。だから死者に対して「迷わず成仏してくれ」などと言う。この世を去り、安らかな世界で休んでくれというほどの意味である。

日本人の死生観と仏教思想、わけても浄土信仰が混淆して形成された解釈されたものとされるが、成仏を死後・死者の意味で用いるのは日本人だけである。この意味でいえば「即身」などと言うからには早々にこの世から去ること、つまり自殺に近い意味にとれなくもなく、東北で盛んだったミイラ仏「即身仏」もそのような解釈の果てに到達した姿だといえる。では空海が本来解き明かす即身成仏とは何かというと、この身、この肉体を持ったまま仏になるということだった。


空海は死ぬことなく生きたままの状態、つまり現実世界でも悟りは開けると説いた

通常の仏教では成仏、つまり悟りを開きブッダになるには、ほとんど無限に近い時間がかかるとする。そのためには輪廻転生を何度も繰り返さなければならないという。これに対し空海は「父母所生の身」つまり父母の間に生まれたこの身体のまま悟りは開けるというのである。そもそも宗教というものは、肉体より精神・魂の優位を説くことが多い。さらに大乗仏教は魂・自我といったものすらも実在はしないとする「空」の域にまで達した。しかし空海は現実世界に重きを置き物質と精神の一致を求めた。


空海が本当に説いたこととは

日本における仏教思想の変容に本覚思想がある。「草木国土悉皆成仏」と言われるように、生きとし生けるもののすべてに、あるがままの世界そのものに生命を宇宙を仏を見出す。空海はそのすべてが真言密教の本尊にして、宇宙そのもの存在・大日如来が姿を変えたものであるとした。すべてが大日如来であるならば、この身体も精神も大日如来である。存在そのものが既に仏なのだ。つまりこの身がそのまま、即、仏であることに気づくことが「即身成仏」なのである。大日如来の概念がわかりにくいという向きには「宇宙的大生命」と言えばニュアンスが伝わるだろうか。

空海の思想は壮大な宇宙観である。大日如来という大宇宙・大生命(マクロコスモス)と、人間という小宇宙・小生命(ミクロコスモス)は対応する関係であるとし、それに気づく(即身成仏)までの過程と方法をシステマティックに展開したものだ。その根本にあるのは、世界の肯定、身体・現象の肯定であった。空海はすべてを肯定する。性欲すら肯定する。性欲は生命そのものだからだ。また一切を「無」とする禅の芸術は水墨画などシンプルな表現を用いるが、密教芸術は色彩が豊かなことが特徴的だ。現実の世界は様々な色に満ちている。即身成仏の境地から見た世界は美しいのである。


シンプルが良いとは限らない

このような真言密教の教えが貴族仏教と言われるのは仕方がないことであろう。その複雑な体系を学のない民衆が理解できるわけはなく、当時の知識階級の専有になることは必然であった。後年の鎌倉仏教は念仏だけ、座禅だけとシンプルな方法に絞ったからこそ民衆に受け入れられたのである。

しかし、シンプルだからこそ難しいということもある。念仏も禅も形こそ単純かつ容易だが様々な要素から抽出したエッセンス、いわば奥義である。親鸞は念仏のみで救われると説いた一方で、本気で信じることは「難中之難」とまで言っている。禅もただ座れと言われても、その先に何があるのかは抽象的で難解である。禅問答に至ってはとりつくしまもなく煙に巻かれてしまう。それに比べて空海はしかるべき方法を行えば「即身成仏」するとはっきり書いている。基本的な教養を身につけている現代人には、複雑に見えるが悟りに至るまでを段階的に完備しているシステマティックな体系の方が向いているかもしれない。


見直される空海

全国には「お大師さま」こと空海が訪れ奇跡を起こしたとする弘法大師伝説が根付いている。ここまで民衆の心に浸透している仏教者はいない。初詣ともなれば成田山新勝寺や川崎大師を参拝する人の数は東西本願寺(浄土真宗)、永平寺(曹洞宗)を凌ぐ。貴族仏教と言われながらも民衆に最も愛されているのは空海なのである。それは、即身成仏した空海が、今はなお高野山奥の院から生命肯定の真理を説き続けている「宗教的事実」の証といえるだろう。あくまで生を肯定し、生きることの素晴らしさを説き続ける空海の宇宙哲学・生命哲学は環境問題や高齢化社会に大きなヒントになるはずである。表面的な神秘的イメージから一歩抜けて見直してみてはいかかだろうか。


参考資料

■空海「即身成仏義」角川文庫(2013)
■宮坂宥勝「仏教の思想 生命の海(空海)」角川文庫(1996)
■松岡正剛「空海の夢」春秋社(1984)
■金岡秀友「密教の哲学」講談社学術文庫(1989)
■末木文美士「日本仏教史」新潮文庫(1996)


ライター 渡邉 昇
空海は、すごい 超訳 弘法大師のことば 苫米地英人

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