人類の積年の夢、見果てぬ願望のひとつに、死者との交信を挙げても的外れではない。一部の科学者、発明家の中には霊界・霊魂との交信を可能にする「霊界通信機」の実現に大真面目に取り組んでいる人たちがいた。そして今もいる。「まっとうな科学教育」を受けた我々は「霊界通信」などと聞けば「トンデモ」の世界であり、マッドサイエンティストの愚行だと笑うだろう。しかし本当にそうだろうか。
エジソンの「霊界ラジオ」
トーマス・エジソン(1847〜1931)が「霊界」との交信をするための「霊界ラジオ」の制作に取り組んでいたのは歴史好きには有名なエピソードである。エジソンによると人間の魂もエネルギー(電磁波)のひとつと捉えており、エネルギー保存の法則によって不変であるとしたようだ。その電磁波を真空管で増幅させるなどの仕組みを考案していたようであるが、エジソンは完成させることなく没した。
このエネルギーが肉体とどのようなつながりを持っているのか、我々の「魂」としていかに自我や理性を有しているのかなどの説明はよくわからないが、少なくともエジソンが霊界との交信を真剣に試みていたことは事実である。一方で、エジソンは当時盛んに行われていた「交霊術」「交霊会」などのオカルト実験には批判的であった。これは科学者(正確には「発明家」と呼ぶべきだが)として霊魂の存在を否定したのではなく、怪しげな祈祷やまじないの類いに等しい手段では、霊との交信などできるわけがないという霊の存在に肯定的だからこその批判であった。
クラウス・シュライバーの「霊界テレビ」
エジソンが着手した「霊界通信機」は音声によるコンタクトを図ったいわば「霊界ラジオ」というべきものであったが、後年には「霊界テレビ」を開発したと称する人物も現れた。1985年西ドイツ(当時)の科学者クラウス・シュライバーなる人物は、テレビのモニター画面に霊の姿を映し会話にも成功したと公表した。テレビには亡き娘が映り、娘はシュライバーに手を振り話しかけたという。その方法はテレビのホワイトノイズ(砂嵐)の画面をビデオで撮影し、ゆっくり再生するもので、彼は何度も妻や娘の姿をとらえ声を録音したとする。インターネットで検索するとそれらの映像や音声を確認できるが、実際の霊界・霊魂の映像・音声であるかについて、厳格な検証が行われたという話は寡聞にして聞かない。
こうした電子機器による死後世界との交信は、「電子音声現象」EVP(Electronic voice phenomenon)。またはITC (Instrumental Transcommunication)とも呼ばれ、一部の科学者によって研究されている。
科学と「霊界」の関係
科学者が異世界に関心を持つことは珍しいことではない。アイザック・ニュートン(1643〜1727)が錬金術の研究に没頭していたことは歴史のトリビアとしてしばしば語られる事実であるし、1973年に江崎玲於奈らとノーベル物理学賞を同時受賞したブライアン・ジョセフソン(ケンブリッジ大学名誉教授)は、超能力や心霊現象といった超常現象を研究テーマにしている。当然ながら「霊界」の研究など、正統派の科学が認めるわけはない。ジョセフソンも、デイヴィッド・ドイッチュ(オックスフォード大学教授)ら正統科学の陣営から強烈な批判を浴びており、正統派の科学者からは無視されているのが現状だ。社会通念上でもそれが常識ある態度ではある。
心霊現象は科学的には物理現象であるというアプローチ
エジソンらの取り組みは技術的・工学的な方向だが、1980年代に「ニューサイエンス」と呼ばれる思想運動が流行した。仏教や老荘思想(タオイズム)などの東洋思想は現代物理学を先取りしているとし、東洋思想と現在物理学の融合による新たな知的潮流の構築を狙ったムーブメントでかなりのブームを呼んだ。
そうした中で、神秘思想家 ケン・ウィルバーは物理学は神秘主義を支持しているとする安易なシンクレティズム(折衷主義)に反対した。物理学は限定された物質世界を扱う分野であり、宗教的・精神的な世界はそれを超越するもので、異なる分野であるとする。怪しげな代替療法など、科学の名を冠した擬似科学が蔓延している現代において、筆者もどちらかといえばウィルバーの立場に同意する。大衆は「科学」の看板に弱い。「○○現象は科学的に証明されている」と言われることほど信頼に値し、かつ危険なフレーズはない。
エジソンやジョセフソンらは心霊現象を物理現象として捉えており、ニューサイエンスのような宗教的思想的な概念とは分野が異なるが、それでも現実世界を超えた次元にコミットする点では共通している。そして正統派科学はそうした世界を一切否定していることに変わりはない。今後科学と霊との関係はどうなるだろうか。
それでも夢を見たい
こうした試みは、正統派科学の立場からは無意味で「トンデモ」な愚行である。また科学と霊的・宗教的な世界の安易な接近には危険な一面もある。しかし、その上でそこで終わる問題ではないのも事実だ。もし、仮に科学的・客観的に霊の存在が証明されたとしたらその時、死の概念は根本的に覆り、世界観・人生観は大きく変わるだろう。
恐山のイタコが絶滅の危機に瀕しているという。死者と交流できる(とされる)イタコの存在は非常に大きいと筆者は考える。人は死んで終わりではない。例え会えなくてもどこか違う世界に生きていると確信できるなら、お星さまになるなどの童話的な慰めではなく、死者の霊が「実在」すると知ったなら、我々はどれほど救われることか。異端とされる科学者・発明家の夢がいつか実現することを期待してしまう気持ちは捨てられない。異端、トンデモと言いつつ、それでも人は夢を見たいのだ。
参考資料
■ジョン・ホーガン著/竹内薫訳「科学を捨て、神秘へと向かう理性」(2004)徳間書店
■竹内薫・茂木健一郎「トンデモ科学の世界」徳間書店(1995)