国内における葬儀のほとんどは仏式で行われるが、日本古来の神道にも「神葬祭」がある。しかし、基本的には神道はお宮参りや結婚式、七五三など「ハレ」の場を司っている。つまり神道はこの世・「生」の世界、仏教はあの世・「死」の世界を担当しているのが一般的な認識だろう。神道はなぜ死の世界を不得手としているのか。それは神道に明確な死後・来世観が用意されていないことによる。
「顕事」と「幽事」
神道は宗教ではないという考えがある。宗教とは教義があり、具体的な世界・宇宙観、死生観が用意されている。そこから死後も存続する生命とその行方を説き、死の恐れを克服し、この世で生き方を教導するものである。この見解からは見た神道は宗教の特性を満たしていないように思える。民衆の心情に根付いた日本固有の文化・習俗であるとする方が自然ではある。
そもそも神道では死は「ケガレ」(穢れ)とされてきた。古事記によると「国生み」の神のひとり、イザナミノカミが火の神を生んだことで死んでしまい黄泉の国へ行ってしまう。夫のイザナギノカミはこれ追うも黄泉のケガレで醜くなった妻を見て逃げ出し、川で身を清めるとアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神が生まれたという。このように死と死後の世界である黄泉の国は穢れた世界であった。その後、アマテラスは孫のニニギノミコトを地上に使わし、出雲のオオクニノヌシより国を譲られ、オオクニノヌシは黄泉の国と同一と思われる「根の国」を治めることになった。
本居宣長によって確立された死後の世界
本居宣長(1730~1801)は、この記述をもとに、ニニギとその血脈(その孫が初代天皇・神武天皇)が、「顕事」(あらわごと)=現世を治め、オオクニノヌシは「幽事」(かくりごと)=死後の世界を司ることになったとした。一方で幽事そのものについては、身分も善悪関係なく、死ねば皆、穢れた黄泉(夜見)の国に往くとする。宣長は神道における死後の世界の成立を語りつつも、その世界そのものについては明確にはしなかった。
平田篤胤の「幽冥界」
平田篤胤(1776~1843)は、宣長の弟子を自称し、宣長の顕幽論を発展させた。主著「霊乃真柱」において霊魂が止まる場所としてオオクニノヌシの治める幽事の世界を「幽冥界」として置く。幽冥界は西方極楽浄土のような遠い場所ではなく、現世と重なるように、世界の裏側に存在する。さらに篤胤は幽冥界をケガレどころか、無限なる真の世界であり、現世は有限なる仮の世界であると転換した。プラトン(BC427~347)のイデアの発想を思わせる(注)。
さらに篤胤によると幽冥界は基本的に現世と変わらない仕組みを持つ。そしてこの世と重なり合っているので、世界のあらゆる場所に満ちている。つまり死者は違う形で生きており、我々生者は共存している。神道は元々、天地自然に八百万の神を見いだす世界観を持っているが、篤胤は世界のあらゆる物に神々だけでなく、親しい死者もまた、我々の近くに満ちていることを説いた。
その幽冥界と現世は祭祀を行うことでつながることができ、祖先神と生者は交流できるとした。盆や正月に祖先が帰るというのは日本古来の考えであるが、その祖先の霊がどこから来るのか、普段はどこにいるのかを篤胤は具体的に設定したのである。これによって死者は常に近くにおり、自分たちも死後は真の世界で生き続ける。また真の世界において死者は神になることができるという。宣長から篤胤に至り、神道は死後の安心を提供する「宗教」として確立された。
祭神論争と「幽事」の放棄
明治に入ると政府は天皇を頂点とした国民の合のため、神道の国教化政策を進め(大教宣布運動)、中心機関である「大教院」が設立される。大教院には、古事記に登場する最も古い神々である造化三神-天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ・高御産巣日神(タカムスヒノカミ)・神産巣日神(カミムスヒノカミ)、並びに天照大神が祀られた。この運動は神仏合同で行われたが、実質は神道中心であったため、国内に絶大な影響力を持つ浄土真宗などの反発を受けて大教院は解散、神道側は新たに神道事務局を設立するが、ここでも礼拝施設に造化三神とアマテラスが祀られることになった。これに対し出雲大社宮司・千家尊福(1845~1918)が 「幽顕一如」を唱え、出雲大社の主神であり「幽事」を司るオオクニノヌシも祀るべきだと主張した。
この「祭神論争」は千家ら「出雲派」を、アマテラスは最高神であり幽顕いずれも治めるとする「伊勢派」が勝利することで決着がついた。
しかし、理屈からいえば出雲派の主張は正論である。宣長や篤胤が定式化したように「顕事」に関してはアマテラスとその子孫の皇室が、「幽事」については大国主神がそれぞれ司るとすれば、「顕事」だけを祀るのは片手落ちである。アマテラスが「幽事」まで担当する根拠は不透明なままであった。
アマテラス=天皇に一元化したいわゆる「国家神道」は戦後の神道命令で解体されたが、その主な流れは現代の神社本庁と傘下の神社に受け継がれている。出雲大社は論争後に独立し宗教法人となった。そしてオオクニノヌシを祀る神社は多く、古来からの祝詞にはその名は残されているものの、神社本庁ではアマテラスと並ぶ格付けにはなっていない。それは「幽事」を遠ざけていることになり 、死と死後に対して応答ができないことを表明しているのと同じことである。日本のほとんどの神社を傘下にしている神社本庁は死後の行方についてはその応答を放棄しているのである。こうなると神葬祭の宗教的意味は曖昧なものになる。死後の世界・生命の説明がないのだから。
現代神道の課題
現代の神社神道は死の世界である幽冥界とその神であるオオクニノヌシを遠ざけることで、宗教としての形式を失っている。また、明確な死後観・来世観を提供できないだけでなく、死の世界を忌み嫌う「ケガレ」の思想も残してしまった。大規模な自然災害による犠牲が相次ぐ現代、神道は「ケガレ」を突破して死に向かい合う必要がある。
注:現世では「1個のリンゴ」「3番目に強い」などは存在するが、「1」や「3」そのものは観念の中にしか存在しない。プラトンはイデアこそ真の世界であり、現世はイデアが投影された影の世界であるとした。
参考資料
■平田篤胤著・子安宣邦校注「霊の真柱」岩波書店(1988)
■安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 」岩波書店(1979)
■村上重良「国家神道」岩波書店(1970)