飼っていた猫が18才になり、ほとんどの高齢猫が患う慢性腎不全になっていよいよ最期の日が近づいて来た時、私は1日でも愛猫の寿命を伸ばそうと、家で毎日皮下点滴をして、大きな動物病院にも連れて行った。そしてとうとう猫が亡くなった後、私はふと思った。もしかしたら、点滴の太い針を毎日刺される事や、キャリーバッグに揺られて大嫌いな病院へ行く事は、日に日に衰弱して行くあの子にとって、心身共に大きな負担だったのではないか。あの子は、自然に死んで行きたかったのではないかと。
Quality of Life(QOL、クオリティ・オブ・ライフ)の登場と変遷
「QOL(クオリティー・オブ・ライフ)」と言う言葉を聞いた事がある方は多いのではないだろうか。QOLは「生活の質」「人生の質」「生命の質」という意味を持ち、そもそもは経済学や社会学の分野の用語だった。1960年代に、アメリカで国民生活の豊かさを表す概念、または指標として広まり、日本では、国民が生活の豊かさを感じられるようになった高度経済成長後の1970年代から使われ始めた。そのためQOLは、単に物質的な生活水準を表す言葉ではなく、それに加えて、仕事や趣味の充実、良好な人間関係など、その人がいかに自分らしいライフスタイルを送り、人生に満足しているかを意味するものである。
その後、QOLは医療や介護の分野で重要な役割を持つ言葉となって行く。医学の発展により、重い病気になっても長期療養や延命治療が可能になり寿命は伸びたが、その反面で高齢化によるうつ病や寝たきりの状態が長引く事で、その患者さん自身の人間らしい生活が奪われるという問題が生まれて来た。そのような状態を「QOLの低下」と呼び、それを防ぐために援助し、より良い生活を実現する事を「QOLの向上」と呼ぶ。その延長線上にあるのが「Quality of Death」である。
Quality of Death(QOD)の理想と課題
「QOD(クオリティー・オブ・デス)」は、アメリカで1980年代から使われている言葉だが、日本ではまだあまり知られていない。その意味は「死の質」あるいは「死までの過程の質」である。医療におけるQOLの時期を過ぎ死が間近に迫って来ると、人はどこで、誰と、どのように死を迎えるかという事について考えるようになる。これがQODだ。では「QOLの向上」と同様に「QODの向上」を目指すにはどうすればいいのだろうか。最も重要な事は、もちろん死へと向かう人の意思である。
しかし、患者さん本人が自宅での最期を希望すれば、それを見守る家族の負担は相当なものになるだろう。そこで必要となるのが医療・介護関係者からのサポートである。そのサポートを得て家族と共に過ごし、身体的な苦痛と死への精神的な不安を最小限に留めて死を迎える事が理想のQODと言える。しかし、このような条件が整う事は、現在の日本ではまだまだ難しい状況だ。また、末期の患者さんが延命治療を拒む意思表示をしていた場合でも、尊厳死に関する明確な法律が整備されていない日本では、どうすべきかが大きな議論となるだろう。
超高齢化社会を迎える日本で質の高い死は実現するか
今年、私はひょんな事からまた猫を飼う事になった。ペットを飼う人は皆、飼い始めた瞬間から自分より先に寿命を迎えるであろうそのペットの死を考える。私は、この子にはなるべく苦痛のない最期を迎えさせてあげたいと考えた。しかし、もしこの子がこれから20年生きたとしたら、その時は私もかなりのお婆さんだ。この先、日本は超高齢化社会を迎える。私も、この子と一緒に質の高い最期について真剣に考えて行かねばならない。