かの東日本大震災が起こる1年前、わたしの父方の祖母が亡くなりました。94歳の大往生でした。わたしが家を出る15歳までずっとおばあちゃんの部屋で一緒に寝ていて、おばあちゃん子だったわたしは、実は彼女の最期のお見送りの時に結婚を決めたのでした。
そしてあの震災の時。わたしの住む東京もまた混乱に陥り、そんな状況での家族のきずなを深く感じ、あのとき結婚していて本当によかったと思いました。と同時に、変な話ですが、そんなきっかけをくれた彼女が、あの悲惨な光景を目にすることなく、経験することなくこの世を去ってよかったな、と後から思えたものです。
さて、そんな彼女のお葬式を迎える前日から一晩、姉と二人で代わる代わるお線香の火を絶やさないように寝ては起きて新しいものに替えるということを繰り返しました。ごく近しい家族が亡くなるのは初めてのことだったので、こんなことをするのかと驚くことがたびたびあったように思います。
お葬式はつつがなく進み、終えることができました。
それから数日、会社からお休みをいただいたので、実家に逗留していましたが、そのとき毎朝与えられたわたしへの仕事がひとつありました。
ピラミッド状に白玉だんごを供えます
それは「白玉だんご作り」。
新しく仏様となったおばあちゃんのために作り、お供えするのです。
我が家では、一度に全部で24個作り、4、10、10に分け、それぞれピラミッド状の山を作ります。それをひとつの仏壇にお供えします。そういえば小さいころ、おばあちゃんもたまに白玉づくりをしていて、お供えした後に、砂糖醤油でいただくのがすごく楽しみでした。残念ながら祖母のように上手にこさえられず、ちょっとした地震でも崩れてしまいそうないびつな白玉ピラミッドが並べられることになってしまいました。おばあちゃん、ちゃんと成仏できたかな...と心配になってしまうほどに。
白玉をお供えとするのは一部の仏教のようで、我が家は禅宗の一つ「曹洞宗」だそうです。実は母の実家はお寺で、もちろん仏教なんですが、これまた宗派の違う「浄土真宗」だということで、白玉団子はお供えしないそうです。母は、我が家の一員になって、祖母から白玉のノウハウを教わったようです。
なんのために白玉をお供えするのか?それは考えたこともないまま受け継がれてきたようで、母に聞いてもよくわかりませんでした。
積み団子の由来は??
お釈迦様があの世に旅立つときに食事をささげたけど断られたので、亡くなった後にせめて旅のお供に…ということで団子を供えたのが始まりとか…。
はたまた、お釈迦様が旅の途中でお腹を痛めたので食べやすいように団子を作ったけど、ついに食すことないままそれを枕元に置いたまま亡くなられたのがそのまま由来になったとか…。
そこから最終的には、仏様になった家族が天国に行くときに、お腹がすいたら食べられるように備えたのではないかと。
積み方や、それこそ処分の仕方も、これはそれぞれの家族・一族でちょっとずつ違うようで、同じ地域の我が家と隣家でもそれはあるようです。団子を作って供えた後、隣家では塩をふって捨ててしまうとか。やはり「死」を穢れたものととらえているのかもしれません。気持ちは分かるような気もします。
しかし一方我が家では、もったいないのでまだ食べられそうな時期におろさせてもらって、家族で美味しくいただいてしまいます。祖母の思い出の味も白玉団子でした。いびつだったけど、おばあちゃんへの思いを込めて団子をこね、ゆであげ、なんとか積みました。
死者が本当に団子を食すかはわかりません。しかし勝手な食いしん坊の見解ですが、亡くなった方への思いをはせながら、美味しく白玉団子を残された家族みんなで食すのも悪くないのかなと、宗教に関係なく感じてしまうのでした。