丹波新聞に興味深い記事が掲載された。記事によると、兵庫県篠山市には、江戸時代に忽然と地図から姿を消した「夙(しゅく)」なる村があった。夙村があった場所は現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年秋分の日に手厚く祀っている。その理由は「祟りを恐れて」のことだったという。
地図から消えた村
夙村は一時期は80戸を誇る大きな村を形成していた。しかし嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという。真相はっきりしないが、疫病の流行が原因ではないかとの見方が強い。
その後、明治中期から後期にかけて村のあった味間南地区で火災が続いた。相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」と噂した。そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった神社の御神体を味間南の神社に、仏像を同集落の地蔵堂にそれぞれ祀った。
供養のきっかけは祟りを恐れてのことだった
さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。以来、大きな火事は起こっていないという。そして今年も住民約30人が村の跡が残る集落東部の井根山の麓へと向かい、墓掃除を行った後、墓前に線香などをそなえ、森の中に読経を響かせた。
今年も無事に墓参りを終えた味間南自治会長の男性は、「事の始まりは祟りを恐れてのことだったかもしれない。しかし現在は、かつての隣人の墓があるというのに何もしないのは忍びない、という気持ちで祀っています」などと語っている。
「祟りへの恐れ」は日本だけに存在したことではない
これに似た話が古代中国にある。実在が認められる最古の中国王朝、「殷」王朝は「周」国に滅ぼされた。その後、周新王朝は殷の末裔を根絶やしにせず「宋」という国を作り、殷の遺臣や殷を慕っている人々をそこに移住させた。これは祭祀を絶やされた殷朝の怨霊の祟りを防ぐためだったと言われる。
祟りを防ぐためにも祭祀は絶やせないが、滅ぼした国の霊魂や神々を宥める祭祀を絶やすわけにはいかない。しかし、祖先の祀りというものは、その子孫のみが行うことができるのであって、新しい支配者は滅ぼした国の祭祀を行うことはできないのである。祀らなければ祟られる。こうして殷の祭祀は宋に継承された。
古代人にとって怨霊は恐るべきものだった。特に殷王朝はシャーマン的な司祭階級を頂点とした呪術的神秘主義文化が特徴的な文明であったことも大きかったと思われる。
本当の死とは、その人の事を知る者、語る者が一人もいなくなった時
祭祀の途絶えた民への思いは、「恐れ」から「憐れみ」へと様変わりしていく。祀る人のいない墓石を想像してみる。そこには淋しさや憐れみを感じずにはいられない。記事の男性が語るように、きっかけは祟りへの恐怖だったかもしれないが、その思いはやがて憐れみの情へと変わっていく。それは「本当の死」への情である。
人は本当に死ぬとは、その人の事を知る者、語る者が一人もいなくなった時だろうと思う。その時、その人はそもそもこの世にいなかったことになる。死が「無」であるとするなら、これこそ本当の死である。
「ドラえもん」の「どくさいスイッチ」から考える本当の死
「ドラえもん」に「どくさいスイッチ」という話がある。「どくさいスイッチ」は未来の独裁者が意にそぐわない人間をボタンひとつで消滅させてしまう道具である。物理的に人間を消すだけではなく「そもそも最初からいなかったことにする」機能にこの道具の恐ろしさがある。ジャイアンを消してしまったのび太にジャイアンの母親が「うちにはそんな子いませんよ」と平然と話すシーンは薄ら寒さを覚えたものだ。
物理的に消滅しただけなら、大騒ぎになるだろう。ジャイアンの存在は国民の記憶に刻まれ、両親はじめ縁者、知人たちは死んだ子の年を数えるように彼を語り継いでいくに違いない。その意味でジャイアンは死んではいない。人々の心の中に生きている。しかしこの道具によってジャイアンは最初からいなかったことにされてしまった。正確にはのび太がジャイアンの存在を証言できる唯一の人物だが、いずれのび太が死んだ後、世界中の人々の記憶からジャイアンなる存在は消える。ジャイアンは「本当の死」を迎えるのだ。
祭祀と祀る思い 死者と生者
年に一度でも人が集まりかつて存在した村を語り合う時、死者は死ぬことはない。彼らは確かに生きていたのだ。それぞれが泣き、それぞれが笑い、それぞれの人生ドラマが展開されていただろう。我々はそれを想像することができる。その時、村人の息吹きは祀る人々の心に甦る。祭祀とはそのためにある。祭祀が途絶えるとき、死者は本当に死ぬ。
「祀る」ことに対する思いが、古代の「恐れ」から、「憐れみ」へ変換した姿は、鎌倉仏教の僧侶が「穢れ」を突破して死体を供養した慈悲の心に通じるものがある。我々生きている人間は死者を祀り、死者を本当に死なせない義務があるのだろう。葬儀でも墓参でも「君のことは忘れていないよ」と、その人に、その人は確かに生きていたと語りかけてあげたいものだ。
参考記事 地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市