今は、特に近所付き合いも少ない時代であることもあり、しきたりを重んじたものよりも家族葬のような親しい間柄の人達で故人を見送る葬式の形が主流になっている、といいます。
かくいうわたしも亡くなる時に、関係のない近所の人達にまで葬式に参列してもらうのには違和感を感じます。
それは自分とは関係がないために「偲ぶ気持ち」を持たない人達まで儀式という理由で参列されることに無意味さを感じるからです。また自分の「感情的な事柄を大切にして人の共感を得ることを重視したい」という性格も影響しているでしょう。
故人にとって最後を迎えた時こそ、周囲に疑問がないクリアな状態で見送ってもらえるほうが気持ちが良く旅立てるのではないでしょうか?葬式の参列者たちの心がスッキリとした気持ちの良い場所であることが、自分の旅立ちを見守る場所として理想的である気がします。
学生時代に斎場でアルバイトをしていましたら・・・
学生の時アルバイトで、ある葬儀の弔問者の車の整理をする警備員の仕事をしたときのこと。
中では葬儀が行われているにもかかわらず、外ではお酒とごちそうが振る舞われて、早速宴会が行われていました。私も帰宅の際にごちそうをすすめられたりしたのです。その際にお酒に酔った関係者と思われる人が故人の悪口?ともいえる内容を口にしましたが、周囲は大笑いしたりしていて、とても気持ちがよい葬式である印象でした。
無関係者の私も「故人は良い人だったのかもしれない」と勝手に想像してしまいました。参列者によるこのような感情の開放が行われる式は、故人にとっても気持ちの良い場所といえるのではないでしょうか?
ゼロへの回帰
またスピリチュアルな話になるかもしれませんが、お年寄りは年齢が進むと子供の気持ちへと逆行すると言われます。それは今までの考えや価値観などすべてを捨てて、魂がゼロの状態へと帰還する瞬間を迎える準備のためではないでしょうか?
自分の祖母の場合は、介護で苦労をさせていたせいでしょうか、母と仲が悪くお互いにギクシャクした関係に陥っていました。しかし亡くなる直前、突然母の手を握って「今までありがとう」といって、その後亡くなったそうです。母は祖母の突然の愛情表現にびっくりしたそうですが、祖母は亡くなる直前に、今までの因縁関係を超えた、なにかクリアな真実の感覚を取り戻したのではないでしょうか?
そんなゼロへと回帰しようとする故人に、儀式めいたものは必要ないのかもしれません。そして親族や関係者が、故人に対する本当の気持ちを解放し発散させる別れの時となって欲しいと思っているのではないでしょうか?