日本の高度経済成長期、葬儀というものはとても派手派手しくて大仰なものだった。葬儀での会葬者は200~300人以上も集まるケースはザラだった。死者本人を知らない列席者が7・8割を占めるという、現在では芸能人のそれぐらいでしか見られない規模のとてつもなく大型化した葬儀が一般的だった。
一昔前の葬儀が大袈裟だった理由
この時代は、社会全体の上昇志向に伴って、「死」や「葬送」というものが極端に人々から忌み嫌われていたころでもあった。戦中や戦後の混乱期、あまりにも多くの死者が出てしまったこと、きちんと死者を弔うこともままならなかったことへのうしろめたさもあっただろう。
葬儀は「お祭り」として捉えられ、死そのものと対峙しなくてはならない哀しみを曖昧化しようとする心情が強く見受けられたことは否定できない。葬儀自体より、告別式のほうが大々的に執り行われていたのも特徴的だった。
高価で装飾過多な祭壇を設えた葬儀では、死者への哀悼のセレモニーという意味合いは忘れられ、社会儀礼やイベントとしての側面ばかりが強調されていた。葬儀の形がちょっと異様な形態を示していた時代だったのだ。
家族葬は一昔前、密葬と呼ばれていた
現在「家族葬」と呼ばれている葬儀の様式は、そのころは「密葬」の一種とされていた。
本来の密葬は著名人が亡くなった際、本葬までの準備時間がかかるときに、それに先立つ内輪の者だけでの葬儀を意味した言葉だった。それが、遺族が葬儀費用が捻出できない場合や、諸般の事情で社会に公にできない場合、故人の近親者だけを集めてひっそりと行う葬儀も密葬と呼ばれるようになっていた。
家族葬や密葬が脚光を浴びるようになっていった
やがて高度経済成長期からバブル期の終焉を経て、葬儀の形は大きく変わることになる。社会儀礼の遂行よりも個人の意志のほうが多くの人々に重要な価値を持つと認識されるようになり、葬儀も元々の意味の故人との密接な惜別の儀式としての役割を担うものとして再評価される時代になった。
核家族化の進行とともに、社会共同体ぐるみで葬儀を催す必要性も薄れ、儀礼的・社交辞令的な弔問を受けずに、ほんとうに故人との別れを悼む人々だけで葬儀を執り行いたいという気持ちを持つ遺族が増えるようになってきました。
密葬の暗いイメージは家族葬という名前に変わったことで払拭された
かつて、本葬を控えた著名人の密葬ではないひっそりとした密葬には、どこか暗いイメージがつきまとっていたが、「家族葬」という言葉が社会のニーズに合わせて定着してくるにつれ、逝去した家族とゆっくり別れの時間を持ちたいという人々の支持を強く集めるようになって、急速に普及しつつある。
家族葬のデメリット
もちろん家族葬にもデメリットはあります。近親者以外には知らせずに葬儀を施行するのが基本であるため、参列希望だったのに選ばれなかった人に後から苦情を言われる例なども報告されている。また予定以上の弔問客が来場した際に違約金等を追徴する旨の契約を交わす葬儀業者が現れるなどの問題が発生していることもたしかだ。
ますます増える家族葬
いずれにせよ、21世紀に入って日本社会は、大規模で画一的な催事ではなく、より当事者個人の要望に沿った行事を選ぶ傾向を強めてきた。この傾向は今後ますます加速化されるだろう。
少なからずマイナスの印象を与えかねなかった「密葬」は、「家族葬」という新しい葬儀の形として生まれ変わりつつあるのだ。