アフリカで長年、ハンターとして生活したジョン・F・バーガーは、仔ゾウを殺されたゾウの集団が仇のライオンを踏み殺し、仔ゾウではなく、何故かライオンの遺骸の上に草や木の葉をかぶせ、「埋葬」するのを、頻繁に見たと報告していた。
一方の人間は古今東西、様々な伝統や文化に即した葬祭儀礼を行ってきた。しかし時に、決して穢してはならないご遺体を粗略に、時に笑いを引き起こさせる「取り扱い」をする場合がある。
映画『龍三と七人の仲間たち』では遺体へのぞんざいな扱いに笑いが起こった
北野武の映画『龍三と七人の仲間たち』(2015)の中に、中尾彬演じる「はばかりのモキチ」の遺体を車いすに座らせ、それを盾としながら、「ジジイたち」こと、藤竜也演じる龍三が率いる、昔ながらの暴力団・一龍会全員で、半グレ集団・京浜連合に殴り込みをかけるシーンがある。
いかんせん彼らは「ジジイ」であるため、かつて得意とした銃の早撃ち、五寸釘を投げる技がことごとく失敗し、モキチの後頭部に命中するばかり。京浜連合のボス・西が銃で反撃してくると、皆でモキチの背後に隠れる始末…。死装束、そして額に三角巾をつけた死化粧の顔で、ふにゃふにゃしつつ、何をされてもピクリとも動かないモキチの遺体は、昭和のクレイジーキャッツやドリフターズの葬式コントを彷彿とさせる。
もちろんこれらは、古典落語の「らくだ」を下敷きにしているものであるのは想像に難くない。「らくだ」とは、綽名が「らくだ」という男があるとき、フグに当たって死んでしまった。彼の葬儀のための酒肴を、長屋の仲間がケチな大家に頼みに行った際、「らくだ」の遺体をたくみに操り、「かんかんのう」を踊ったという噺である。
遺体の扱い方に正解はない
ここで考えたいことは、ご遺体を大切に扱うことばかりが、死者を重んじ、悲嘆や哀悼の意を表しているとは限らないということだ。
寸借詐欺を繰り返し、孫娘にさえ金を無心するモキチや、大酒飲みで乱暴者だった「らくだ」は、生きている間、いろいろあったとしても、周囲の人々に愛されていた。愛されていたからこそ、死そのものを放置されることなく、送りの際に、傍から見ると不謹慎に取り扱われてしまった。
このように、ご遺体の「取り扱い」ひとつを取り上げても、さまざまな人生模様、人間が生きた場所・歴史・文化が垣間見える。それらに想いを馳せ、時に笑い転げることもまた、自分自身の生きる意味を問い直す契機となるのではないか。
参考文献 動物に愛はあるか〈1〉死を悼むゾウ、盲目の仲間を導くネズミ