江戸時代には、大名や家老、庶民階級だが富裕層に属する家の当主らは、晩年しばしば後継者に向けて「遺訓」を残している。
特に著名な歴史的人物の遺訓は、それなりに一般の人々にも知られているケースが多い。ただ、そうした、著名な偉人の遺訓には、後世の偽作ではないかと見られているケースも存在する。
正真正銘の遺訓に共通する3つの特徴
では偽作ではなく、明らかにその歴史的人物本人によるものだとわかっている江戸時代の遺訓には、幾つかの特徴がある。
(1)まず、徳川幕府への忠誠心を第一に守るべき道として挙げ、しばしば「ご恩を忘れるな」のようなニュアンスを帯びる。これは、身分を問わずよく見られる。
(2)大名家や家老など武家の場合、「武道をたしなみ、忘れないようにすること」が重視される。
(3)「人の上に立つ者として守るべき道」という要素がある。例えば、家来には普段から慈悲をかけるべきだが、不祥事は情にほだされずきちんと罰すること、などである。この要素は武家に限らず、富裕層の庶民にも見られる。
これらは、ことごとく近世的な身分制度を前提として、自分の死後、後継者が藩や商店などをそつなく運営するにはどうすべきかを決めたものである。逆に言うと、こうした要素が見られない「近世の遺訓」は、その遺訓の主よりも大幅に後の時代に作られたものである可能性も、ないとはいえない。
現代での終活に共通する遺訓
例えば、これは後世の偽作であるとの確証はないが、仙台藩祖伊達政宗が残したとされる「貞山公御遺訓」がある。しかしこの遺訓は、先に挙げた3つの要素が完全に抜け落ちている。つまり近世型身分制度が前提とされてはおらず、江戸時代初期の有力な藩の初代藩主の遺訓としては、やや不自然な点がある。
近世の遺訓によく見られる特徴は他にもある。例えば「自分の治める藩・大名や自分の経営する商店・豪商は、あくまで先祖からの預かり物である。だから、私物化せず子孫にきちんと渡せるよう心掛けるべきだ」という発想もその一つである。
また、特に営業上の心得や遺産分割など経営面に特化した遺訓を残した豪商もおり、そうした遺訓は正月などの行事の際、一族と奉公人一同が唱和することもあった。他にも、冠婚葬祭に幾らの金を使うべきか、どのような規模や形式にするかなど、一種の儀礼コードを残した人物もいた。
つまり、この時代の遺訓は、自分の死後の藩や商店などの運営についてきちんと決めておく、ある種の「終活」としての側面もあったのである。