近年、終活と言う言葉が浸透してきている。
終活とは自分の人生の最後に向けて考え行動することである。しかし、人生の最後の瞬間まで健康であることは難しく、病院にて人生を終える方は多い。
私は病院に勤務している、医療従事者であるため、そのような方々を数多く目にしてきた。
終末期リハビリテーション
病院にはターミナルケアという言葉がある。これは身体に負担がかかる医学的治療は行わず、痛みは和らげるものの、特別な延命治療などは行わず、ありのままの状態で最後を迎えさせるという考え方である。
そんなターミナルケアには、いわゆる「終活」に似た部分があると考えている。余命間もない方となると、出来ることは多くない。だからこそ、そんな本人に対して、病院が支援をする「終活」と考えることができないだろうか。
では具体的にどんな支援があるかというと、リハビリである。
病院において人生の最後を送る高齢者は認知症を患うことは珍しくない。また、手足の自由もうまく効かずに1人で歩けない、トイレを行えない、食事も取れない方が数多くいる現状がある。
リハビリと聞くとスポーツ選手が怪我をした際に社会に復活するために行うものと考えることが多いが、実際は少子高齢化に伴い、高齢者のリハビリが多い現状である。
「棺に綺麗な体で入るため」にリハビリを行う
ではターミナルケアの方のリハビリは何をするのかというと、棺に綺麗な体で入るための準備をするのである。
綺麗な体というのは背中や膝、腰が曲がっておらず真正面を向き、お腹の上で手を組める状態を指す。実は腰や膝が曲がっている方は棺に入ることが難しい場合がある。仰向けで寝かせた際に棺の蓋に頭がぶつかることや、膝がぶつかってしまい蓋が閉まらないことがある。強引に押し込んで頭、膝を傷つけるわけにもいかない。また首が変形して真正面が向けない方もいる。棺に入った際に顔が正面に来ないことは寂しい気持ちにもなる。
そのような人に対して病院側として、本当に棺に入らない場合、人の手の力によって強引に曲げられ押し込まれる事がある。この行為は仕方ないと思う反面、家族も見るに堪えない行為でもある。1番は声を出す事ができない、本人が1番悲しいと思う。終活までして、人に迷惑をかけないように、自分らしく最後を迎えようと努力していたのに、こんな最後があることは想像もしていなかったことだろう。
「自分らしく」という言葉の中には「綺麗な体で」ということもきっと含まれている
この不明瞭な部分に対して病院側はリハビリとして対策を打っている。
まだ、命あるときに首が曲がっていればポジションを整えたり、膝に関してはストレッチをリハビリの専門家が行う。本人でもできる場合であれば自主トレーニングを指導したりもする。また最後にお腹の上で手が組めるように手のこわばりが強い人もストレッチを行う。
このように棺に綺麗に入るために行うこととして、本人から強くモチベーションを感じる事ができる。流石に「棺に入る準備ですよ」とは声をかけづらい面もあるが、「最後まで綺麗な姿でいましょう」との問いかけには、大変努力をしていただける現状である。
「最後まで迷惑をかけずに自分らしく」の考えの中には、「最後まで綺麗な自分でいたい」という考えも感じ取る事ができる。病院で働く者として新たな終活の考えを目にしている。