2015年も、残りあとわずか。今年一年間で、一番の大きなお買い物はなんでしたか?
筆者は、なんと「お墓」。しかも実は、衝動買いだ。
もちろん、本来お墓というものは、じっくり考慮してから購入するものだとは思うが、時には出会いのインスピレーションも重要だ。
なぜ、突然お墓を衝動買いすることになったか。
以前から希望していた樹木葬の霊園に見学
ずっと以前から樹木葬にあこがれていた実母から、良い物件があるようなので見学に同行して欲しい、と連絡がきた。
娘である筆者が気に入るような場所を選ぶことが、いずれは先立つであろう側としての気遣いらしい。
まぁそれももっともだ、ということで、初夏のある日、実家の両親と待ち合わせた。向かったのは、県内にある、設立2年目の霊園。大変好評のためこのたび区画を広げる予定で、新規募集をしているとのこと。
高速道路のインターから車で5分程度と交通の便も悪くなく、静かな場所でありながら山奥というわけではない。少し高台にあり、その裾には霊園の経営主であるお寺の森がこんもりと臨める。
ご住職が大変人徳のある方で、檀家の方々もとても理解があり、このような霊園を作ることができたのだと、案内の女性が説明してくれた。
若い桜の木が何本か植えられており、その周りを墓板が囲んで、空いたスペースには季節の花が植えられている。その奥にある畑を、今ある作物の収穫後に整地して、新しくまた桜を植えるそうだ。
夫婦または家族で申し込み、その全員が墓に入ってから13年経ったのちは、向かいのお寺にある永代供養の塔に移されるとのこと。
両親の隣ならなにかと便利だと思って思わず衝動買いしたお墓
両親とも「これ以上好条件の物件に、この先巡り合える機会はなかなかないかもしれないわねぇ」とまずまず気に入った様子。
どうせなら一番高い場所がいいだの、景色が良い方向はどちらだの、どっちを向いてお参りするかだの、あれこれと騒いでいるのを黙って聞いていたのだが、ふと「じゃあ、私がその隣に入ろうかな」
一家の墓に一緒に眠らなくても、お隣り同士なら同じようなものだし、なんとなく寂しくないんじゃないか?と思ったのだ。先にどちらかが13年後に寺へ移動しても、いずれそこで家族と再会できるというわけだ。そしてその後の代には、墓を守るような手間を掛けさせることもない。こんな方法があったとは。
「眠る場所がある」ということの安心感
そんなわけで、あっという間に決断し、二つの契約を済ませてしまった。なんとなくずっと心の片隅に引っかかっていた心配事が、すっと片付いたようで、気持ちが晴れやかになった。
「これからは毎年春には、この霊園にお花見に来よう。」「墓石にはなんて刻もうか。」「‘和’なんて流行りよね。‘ありがとう’はどうかしら。」
お墓を買うって、こんなに楽しく心弾むものなのか。眠る場所が決まることの安心感がいかほどかを知った。
現在すでに施工はスタートしている。来年の四月、私たちの新しい桜の樹にどのくらい花が咲くのか、それを見にまた訪れるのがとても待ち遠しい。