「冠婚葬祭」という言葉で一つのまとまりにくくられることも多い、結婚式と葬儀。
人生の節目における儀式である点は共通しているが、これら2つの式は真逆の場所に位置している。
慶事と弔事、「おめでとう」という言葉と「お悔やみ申し上げます」という言葉。
そして何ヶ月も前から準備される式と突発的に行なわれることになる式。
最後の別れとなるお葬式
個々の事例や事情、相手との関係性にもよるとは思うが、結婚式と葬儀が重なってしまった場合は葬儀を優先と考える人も多いのではないだろうか。
そこにあるのは葬儀が「亡くなった人とのお別れの場である」という事実だろう。「何を当たり前のことを」と言われてしまうかもしれないが、この点がこの2つの式の対称性を最も強く現している点だと思う。
つまり、これから新しい生活を始める2人に対しては、仮に式に参列出来なくても改めてお祝いをする機会がある。こちらからその機会を作ることも可能だろう。だが、人生の終わりを迎えた人に対しては、「改めて」「別の」機会にお別れをするということが出来ないのである。だからこそ、葬儀の持つ重要性は大きいのではないだろうか。
最後となるからこそ、失礼があってはいけないし、気を配る必要がある
さて、その大きな重要性を持つ葬儀ではあるが、先ほども述べたように、事前に入念な準備をしておくという性格のものではないことも事実だ。というよりは、事前に準備をしておくのは難しいと言った方が適切かもしれない。
人の死は得てして突然やって来るものである。葬儀に包む香典には新札を避けた方がよいとされるのもこれが理由である。突然の訃報に新札を持参しては、故人の死を予想していたかのようになってしまう、ということである。香典袋を開けるのは受付係の人であり、遺族は誰がどんなお札を入れたかなんてわからない、という意見もあるかもしれない。あるいは、この先こうした考え方自体が変わったり、なくなることだってあるかもしれない。それでも、筆者は個人的にはこうした昔から大事にされてきた習慣は受け継いでいきたいと思っている。
新札の包まれた香典を見て気を悪くする人がもしかしたらいるかもしれない、そういった可能性があるということ。その点について考えれば、包むお札について気を払うことぐらいは容易いことではないだろうか。
ここでは香典を例に挙げたが、香典に限らず、参列者の側から見て気を配れる点はいくらでもあるだろう。故人と最後のお別れをする大切な儀式。故人本人への思い遣りはもちろん、残され辛い思いをしている遺族に対する思い遣りも忘れずに持っていたいものである。
最後に…
最後に筆者は関東圏に生まれ育った者である。
香典に関しての習慣など、これをお読みの方の地域の習慣と違う部分もあるかと思う。
そうした部分に関して、もしお気を悪くさせてしまったとしたら大変申し訳ない。一言お詫び申し上げて、このコラムの結びとさせて頂きたい。