先日、友人と久しぶりにお茶をした際に文芸作品集をいただいた。いかにも自費出版を思わせる地味な装丁ではあったがかなり厚い。
中身をパラパラと目を通してみた。全体の雰囲気はもう相当古めかしいが、俳句、漢詩、詩そしてエッセー風のものまで多岐にわたっており格調も高そうだ。
父が生前からまとめていた遺作を自費出版
彼女にこんな趣味があるとは。おまけに、俳号らしきペンネームも使っている。
「じつは、亡くなった父の遺作をまとめたものなの」と、彼女。
しかし、彼女の父上が亡くなったのは随分と昔のことだ。
「亡くなる前から父は自費出版の手筈をととのえていたので四十九日には、出来上がっていたのだけどね」といったが、ある事情があってなかなか公開できなかったというのだ。
母親の認知症が進んだことと自費出版のタイミングが一致
「ところで、お母様はお元気ですか」と聞くと、「あんなにしっかりしていた母だったのに、認知症が急速に進んでしまい、ようやく昨年末に特別養護老人ホームの入居がきまりほっとしたところ」と言った。
今回の文集配布のタイミングには、実は母上の認知症の急速な悪化が絡んでいた。ここ数年にわたるご両親の介護や逝去などで相当のストレスがあったと見えて、いつも冷静な彼女が珍しくプライベートのことを詳しく話してくれた。
彼女のご両親は太平洋戦争前から許嫁だった。お父上は、中国東北地方の帝国の専門学校から鉄道会社へ就職。やがて応召で南方へ送られ終戦を迎えた。そして戦後すぐに母上と結婚。母上は父上の度重なる闘病生活にも献身的に看病介護にあたられたそうだ。
今回の作品集は、前記のように彼女の父上が生前から出版社へ内金を渡しており、原稿も順次編集担当者へ送ってきた。そして担当者に題材のピックアップをまかせていた。
静かに去りゆくのも終わりの美学?
ところが、出来上がった作品集を彼女が何気なく通読してびっくり仰天した。
かの帝国の首都での愛人との逢瀬から別離までが情熱的・抒情的に綴られていたのだ。これでは、まともな状態であれば、母上には見せることは出来ない。
したがって、事態が変わるまで配布は控えていたわけだ。あと数年で卒寿に届こうかという父上の情熱には感心するが、やはり暴挙であろう。
本コラムでは故人の意志を前面に押し出すことが善であるような主張をしてきたが、静かに去りゆくのも「終わりの美学」かもしれない。