さすがに最近は、朝夕秋の気配が漂ってきたが、今年は東京では記録的な猛暑が続き、暑さでおいそれと墓参りには行けない夏でもあった。
それでもお盆休みともなると、亡きご両親との再会とまではいかなくとも、何か祈りを込めたい気持ちになった方々もおられたかもしれない。
暑くて遠いなら、ネットでお墓参り?!
そこで、やや唐突ではあるが『ネット墓参り』はどうだろうか。
バーチャルという批判に対しては、かの内村鑑三の無教会主義とまでは言わないがお参りの対象がハードからソフトに変わったと考えればよい。
最近、メディア上で「有名人・芸能人の墓参りに行こう」という特集を目にしたが、これも物理的にも時間的にも無理な場合が実際多いであろう。
そこでネット上でライブ法要が聞ければかなりの満足感が得ることができるはず。墓参りの記録や故人への思いを込めた言葉も入力できる。言葉が記録に残ることで却ってお参りの重みが増すかもしれない。いかがであろうか。
ネット墓参りが可能なら、葬儀のネットライブ中継?!
システムの構築については、技術的にはまず問題はないはず。問題は案外、おもわぬ法律上の問題が生じる可能性かもしれないが、もし無ければ墓参りをする側と施設管理側であるお寺さんや教会側の意識改革次第と思われる。
墓参りのネット化が一般化すれば、もう葬儀そのものもネット化されるまであっという間であろう。法要もネットライブ中継されるかもしれない。本サイトでも、「骨送」のような話もでている。「あとはお任せ」という段取りというわけである。ごく身内だけは実際の葬儀に参列して、その他の参列予定者はネットでということでもよい。
ネットかリアルかではなく、大事なのは故人を偲ぶ気持ちの問題
私が考えるに、故人の供養は多分に精神的・バーチャルなものが本来の姿。色々な事情により、墓や何やのハードで補強してきたわけであって、ネット墓参りは原点回帰だ。
ネット・スマートフォンなどの普及がここまで浸透している時代だ。葬儀にかかわる儀式のネット化はある程度避けられないのではないか。現物を実際に見ることをしないで通販の買い物をすることも多い。またソフト化することにより色々な省スペース化も図られる。
以上いろいろ述べてきたが、わたしのネットの調べ方が下手なだけで。もしかすると以上のようなものは、既に出来ているかもしれない。