2011年3月20日(土)の18時半、それまで1年2か月、母と私が我が家で介護に奮闘してきた伯母が天寿を全うしました。死亡の確認で、診ていてくださったお医者さんがすぐに葬儀の手配を、と指示してきました。
生前から故人は家族葬を望んでいたため、まずは、葬儀会社を探すことから始めましたが、兄がインターネットで検索し、出来る限り費用の掛からない会社を見つけました。お通夜は当然家族だけです。
母と兄と私の三人きりでした。
葬儀屋さんが我が家にやってきました
翌日の日曜日の午後、雨が降りしきる中、葬儀会社のディレクターさんが我が家にやって来てくれました。まず、遺影はどの写真にするのかから打ち合わせは始まりました。
伯母のアルバムの中から写真を選び出すのにも、母と兄と私で揉めました。
まあ、結局、まだ伯母が元気だった頃の、兄の結婚式での伯母の写真を遺影に決めました。
葬儀場の手配は全てディレクターの方がしてくださいました。兄も私も初めての経験でしたから、最初は不安でしたが、ディレクターさんが尽力してくれたおかげで、兄も私も殆ど何もせずに済んでしまいました。
問題だったのは告別式をいつにするかだったのですが、暦の関係で、3月24日(水)になりました。
また、家族葬ということで、お寺と相談した結果、葬式自体は3月27日(日)に決まりました。
ですが、それまで遺体をそのままにしておく訳には行きません。死後硬直後は、遺体は傷んでいきます。
そこで、遺体は先に斎場に安置してもらうことになりました。
どうやって伯母を自宅から斎場へ連れ出す?
ここで、私は一つの疑問を持ちました。一体、どうやって伯母の遺体を斎場まで運ぶのかという極めてシンプルな疑問です。ディレクターさんは一人でやって来ました。人間の身体はとても重たいのです。するとディレクターの方が一言、「車まで御遺体を運ぶのをお手伝いいただけますか?」と。びっくりしましたが、ディレクターさん一人きりで遺体を運び出すことなど到底不可能な訳ですから、兄も私もすぐに了承しました。
ディレクターさんはナイロン製で丈夫な遺体収納用の大きなバッグを準備されていて、三人で協力しながら無事に遺体をバッグに収納することが出来ました。次は遺体を車まで運ばなければなりません。我が家はマンションの3階で、まずは1階のクロークまでを目指しました。
三人掛かりで遺体を持ち上げましたが、それでも、かなり重かったことは今でも記憶に残っています。伯母は亡くなるまでにげっそり痩せていて、体重は40kg無かったのですが、それでも、とてつもなく重く感じました。エレベーターの中では遺体を縦にして、三人で支えました。何とか無事に1階のクロークに到着し、駐車場まで遺体を運び終えたとき、私は本当に最期まで伯母に尽くすことが出来て良かったと思いましたが、兄は「重かったな」と笑っていました。
役所の手続きやその他の諸々の作業は?
区役所への死亡診断書の提出もディレクターさんがやってくださると言う事でした。
斎場での遺体の安置に必要な作業も全てディレクターさんがしてくださるということを聞き、母も兄も私も安心して伯母を見送ることが出来ました。
また、銀行に死亡の報告をしてしまうと即日で故人の口座が凍結されてしまうこともディレクターさんから教わりました。
告別式の当日は、葬儀会社の別のスタッフさんが落合斎場に来られましたが、全てが滞りなく進みました。集まった7名の親族と近しい伯母の友人だけで執り行われた家族葬は、本当に心に残っていますし、故人もきっと喜んで旅立てたことだろうと思います。