昨今の「江戸しぐさ」の信憑性に関わる問題など、文化をめぐる論争はそれ自体が目に見えず、気づいた時には慣れ親しんでいるために、しばしばあたかもそれが所与の産物として扱われています。
火葬は伝統文化?!
葬儀をめぐるトピックに及んでも、この「伝統」文化といえる例が存在します。それが「火葬」です。
現代の日本では、亡くなられたほとんどの方が火葬を行います。例外として挙げられるのは、そもそも火葬を拒否するキリスト教徒の方やムスリムの方などです。
このように日本人にとって、火葬は生まれた時から文化として存在し、何の抵抗もなく受け入れられてきました。しかし、実はこの「火葬」は、戦後以降に普及した文化だったのです。今回は「火葬」を中心に日本の伝統とされる文化について、一考します。
埋葬と宗教の密接な関係
第一に、埋葬は宗教に非常に深く関連しています。
独自の終末論を保持するキリスト教徒やムスリムは、死者の復活を信じて土葬を行います。日本でも6世紀に仏教が伝来した時に火葬という埋葬法も伝わったとされています。すると、仏教の広がりと火葬の広がりはリンクするのではないかという仮説が立ちます。
確かに10世紀頃までは、仏教が比較的貴族の宗教として留まっていたように、火葬も上流階級の文化でしかありませんでした。しかし、鎌倉時代以降に仏教が民間宗教として広まっていっても、火葬の文化は追随せず、普及の程度は1割程度であったと言われています。さらに時代はくだり、明治になってもその普及率は3割でした。戦後1950年にやっと5割を突破します。1980年になると普及率は9割9分に達しました。
このように、仏教と火葬がリンクしていない原因は、仏教がその教義において火葬を強要しないからです。したがって、戦前において仏教が国民的宗教となりながらも、まだ土葬や風葬、水葬、林葬などの埋葬法が残存していました。
高度経済成長と都市化の発展にともなって普及していった火葬
第二に、火葬の普及は政策的結果という側面を持っていました。
火葬が爆発的に広まる戦後以降は、日本が高度経済成長期などを経験して、急速的に都市化を進めていった時代でもあります。結果として都市部には、住宅が立ち並び、生活が標準化されてました。その過程で政府は、都市計画において墓地や霊園を組み込むために、墓地・埋葬関連法令を続々と施行してきたのです。
行政側からすると火葬やそれに伴う墓地は、公共衛生の理念に合致し、用地も最小限で済む、すなわち効率の良い風習として捉えられたのでしょう。前段でも示したように、都市化の進展と同時に火葬文化も定着し、80年代には99%の普及率を記録しました。