父方の祖母が亡くなる時のことだ。
介護施設に入所していた祖母は明け方に体調を崩し、祖母の部屋に見回りに来た介護職員に付き添われ入院した。そのとき祖母は眠っていたようだが、巡回中だった介護職員が、その呼吸がいつもと違うことに気付いたため、病院へ搬送されることになった。
そしてその介護職員には祖母の最期まで付き添ってもらうことになった。親族が誰も看取ることができなかったので、それはありがたいことだった。
長くないと判断した介護職員
祖母のところへいつでも通えるようにと、自宅近くの施設に祖母を入所させた伯母も、祖母の最期に付き添うことはできなかった。
伯母の家で祖母の危篤を知らせる電話がなったのは明け方だったそうだ。伯母はこのとき電話を取り損ねてしまった。
介護職員は一番目の連絡先である入所者(祖母)の長女(伯母)と連絡がつかないとわかると二番目の連絡先である次女(叔母)のところへ電話を入れてくれた。かなり朝早い時間帯ではあったが、介護職員は祖母を見て、これは長く持たないとその場で判断し、すぐさま伯母たちに連絡してくれたようだ。
「まだ死んでねぇっす」と言った介護職員
その結果、祖母の危篤の連絡を最初に受けたのは祖母の次女である叔母になった。叔母は祖母が亡くなる日の明け方、夢を見ていたそうだ。祖母が亡くなる夢である。そのため、叔母は介護職員からの電話を祖母の訃報だと思い込んだ。介護職員が、祖母が危篤の旨を叔母に伝えようとしたとき、叔母は真っ先に「母はいつ亡くなったのですか」と聞いてしまったそうだ。そして介護職員から「まだ死んでねぇっす」と東北弁で返されたそうである(しばらく後に、叔母がこの話を笑いながらするようになったとき、叔母が完全に、実母を亡くした悲しみから立ち直ったと私は判断した)。
介護職員には感謝してもしきれない
だがこの叔母も祖母を看取ることはできなかった。介護職員からの電話を受けたときまだ祖母が死んでいないのは良かったが、叔母は当時東京在住である。叔母は今からでは祖母の死に目に会えなくても仕方がないと判断し、人工呼吸器を止めても構わないと介護職員に電話で伝えたそうだ。この判断には、遅れて連絡を受けた伯母も同意したそうだ。親族が皆揃うまで人工呼吸器を祖母につけたままにしておくのはかわいそうだと思ったようだ。叔母たちも我が家同様、祖母の介護を一時していたので、いざという時の覚悟はできていたようだ。
叔母から訃報を受けた我が家は、(介護職員からの最初の連絡が早かったおかげで)両親が何とか都合をつけ、斎場へ向かうことができた。この介護職員は、祖母が亡くなる日の未明、祖母の僅かな異変に気付いてくれた。それは普段からきちんと祖母を看ていてくれたということだろう。さらに、祖母が搬送された病院から早めに伯母たちに危篤の連絡を入れてくれた。もちろん、介護職員がこのようにしてくれたのには、伯母が二日に一度祖母を見舞っており、介護施設の職員からの覚えも良かった影響もあるだろう。あるいは入所者が危篤に陥った際のマニュアルがあり、介護職員はただ単にそれに従っただけかもしれない。しかし私たちにとり、この介護職員の対応は一種の見守りサービスである。今でもその介護職員には感謝している。
叔母が見た祖母の夢とはどんな夢だったのだろう
ところで、叔母は祖母が亡くなる日の朝、祖母が亡くなる夢を見ていたらしいが、それはどのような様子だったのだろうか。今度機会があれば聞いてみたいと思っている。祖母が晩年に気になる夢を見ていたからだ。晩年の祖母によれば、夢には祖母の母(私の曾祖母)が現れ、祖母は夢の中で「お母さん、私も連れて行って」と曾祖母に言ったそうだ。そのときは「お前はまだだよ」と言われたそうだ。
その約一年後、介護職員に看取られ祖母は逝った。曾祖母が迎えに来たのかも知れない。祖母の入所していた介護施設では介護職員が、天国では曾祖母が祖母を見守っていてくれたのだろう。