日本は自然災害の国である。それゆえに大自然の人知の及ばぬとてつもない力に畏怖してきた。同時に自然からの大いなる恵みには感謝の思いも抱いてきた。エジプトにおけるナイルの氾濫と肥沃な土壌がそうであるように。大自然への畏敬の念、人はそれを「カミ」と呼んだのだった。カミの怒りを鎮め、五穀の恵みの御礼をする。それが社、神社につながった。自然災害と神社の関係は深いといえる。
災いを鎮めるスサノオと生活に寄添う稲荷:津波被害を分けた祭神の性質
東京工業大学大学院のグループが発表した論文によると、東日本大震災において津波被害をほとんど受けなかった神社は「スサノオノミコト(素戔鳴尊)」を祀る神社で、逆に比較的被害を受けたのは、稲荷神を祀る神社と、「アマテラスオオミカミ(天照大神)」を祀る神社だったという。論文ではそこから、スサノオ系の神社は水害や疫病などの神徳を司る神なので、自然災害発生時に安全な高台に、稲荷系は家を守る神なので、低い位置にあったという主旨の内容が導かれている(アマテラス系については後述する)。この論文はあくまで土木工学・防災からの見地を述べたものだが、宗教・民俗学的に見ると興味深いものが見えてくる。
スサノオは天照の弟神。感情の激しい神で、元々は父神「イザナギ(伊邪那岐)」から海の国を治めるよう命じられた海神だったが、毎日、母神「イザナミ(伊邪那美)」のいる根の国を慕って泣き喚いたという。高天原では乱暴狼藉を働きアマテラスから追放され、出雲の地に天降ったあとは「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)」を退治して出雲に土着した。出雲の国を作った「オオクニノヌシノミコト(大国主命)」の先祖神とされている。スサノオはこのように「禍つ神」としても「英雄神」としても描かれる。この落差は、災害と恵みをもたらす自然の二面性にも通じると思われる。災害(荒ぶる自然)を鎮めるには、同質の荒ぶる力が必要だという発想は、呪術的な論理を感じさせる。元々は海神だったこともあり、特に津波のような水害の鎮めを期待したのかもしれない。宗教・民俗学的にも、ヤマタノオロチ退治を、治水や農耕文化を反映した神話と見る解釈もある。抗しきれない自然災害に対し「荒ぶる神」に頼る思いは強かっただろう。必然的にスサノオを祀る神社は、町や海を見渡せる高所高台に建てられた可能性は高いと思われる。
一方、稲荷系は稲荷神を祀る神社である。稲荷神はスサノオとは対照的に、個人の家庭・生活に密着している。稲荷神は狐の神として知られているが、正確には「稲荷大明神」という神のことで、狐はその眷属、つまり使いである。稲荷大明神は「ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)」という穀物の神と同一視されることが多く、「いなり」とは「稲成り」が転訛したものとされている。論文では、こうした出自から、稲荷神は稲作に関係する農地などの低地に祀られるようになり、津波などの災異時には甚大な被害を被ることになったとしている。
最高神アマテラスの公的性格と天津神・国津神の役割分担
最後にアマテラス系についてだが、論文では不明のままで終わっている。アマテラスを祀る神明社・天照皇大神宮は江戸期以降の、全国的な「伊勢信仰」の布教で勧請された比較的新しい社が少なくない。古い歴史の中で積まれた災害の教訓とは直接関係は薄いと思われる。またアマテラスは太陽神である。稲荷同様「五穀豊穣」を司る側面が強い。稲荷系神社の場合と同じくアマテラス系神社もまた、田畑の近く、つまり低地の耕作地帯に祀られやすかったと考えられる。
何より本質的にアマテラスは村の生活神というより「皇室の祖神」という公的・象徴的性格が強い。アマテラスはスサノオの姉で、太陽神にして高天原の盟主。皇室の祖神であり、八百万の神々の頂点に立つ最高神とされている。
日本の神々の区分のひとつとして、天津神と国津神がある。天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、または天津神の後裔を指す。一方、国津神は地上に現れた神々の総称とされており、稲荷神も国津神である。なお、高天原から天降ったスサノオもオオクニノヌシの祖先ということで国津神の象徴的な位置にいる。天津神を「天神」(てんじん)国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」または、「神祇」と言う。
天津神と国津神では役割が異なる。国津神は無病息災、学業成就など個人の具体的な願いの対象。一方、天津神には国家安寧、世界平和といった抽象的な祈りを捧げられることが多い。天津神の頂点に位置する、伊勢神宮では個人的な願いは慎むべきとされており、国津神の頂点である出雲大社は、縁結びの神様として有名であることはわかりやすい例といえるだろう。
ケガレを避ける神道と、犠牲者を包み込む仏教の相互補完
このように災害と神社の関連には興味深いものがあるが、決定的に欠けている要素が浮かび上がる。災害の犠牲となった死者の存在である。神道は死をケガレとして忌避している。このため、死者の鎮魂や遺族の心に寄り添うといったことが、祝い事、いわゆる「ハレの日」に比べて不得手になりがちである。ここに外来宗教である仏教が補完するように入り込んだ。仏教も本来は個人の解脱が目標であったが、日本では祖先供養と結びつき、「葬式仏教」に変化したことで神道が弱かった領域を仏教が大きく担うようになった。現代では葬式仏教は蔑みの表現だが、哲学・学問としての仏教や、国家鎮護の呪術的な仏教から、死者供養へと転じたことは魂の安らぎ、遺された人たちの癒しになったことだろう。
こうして、自然の恵みと災厄に向き合う神道と、死者の供養と鎮魂を担う仏教が、互いに補完し合い、人々の生活を精神的に支える信仰形態が成立した。
防災の神道と慰霊の仏教:二重の信仰がもたらした地域の精神的支柱
神社(神道)、特にスサノオ系の祭神による災害の回避、防災。寺院(仏教)による、被災して命を落とした死者の鎮魂と遺族の精神的ケアの補完。この二重構造が、日本の伝統的な地域社会を精神的に支えてきた。そこには大自然への畏敬の念と、死者への思いが複雑に絡み合っている。
参考資料
■高田知紀/梅津喜美夫/桑子敏雄「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」『土木学会論文集』68号(2012)
■松村潔「日本人はなぜ狐を信仰するのか」講談社(2006)
■拙稿 「陰の寺院」と「陽の神社」 寺院と神社の補完関係
■拙稿 願いを叶える神と試練を与える神 私達はそれでも神に祈り願いを捧げる



























