幽霊といえば足がないのが通説だろう。物語では死んだと思われた人物が生きて帰って来た時には、足の有無が話題になる。だが幽霊、霊魂の類に足がないのは日本人特有である。なぜ日本の幽霊には足がないのか。そこに見いだせる日本人の心性とは。
円山応挙はなぜ足のない幽霊を描いたのか
日本の幽霊・霊魂に「足がない」というイメージが定着した背景には、江戸時代の絵師、円山応挙(1733〜1795)の幽霊画が決定的な影響を与えたというのが通説である。応挙以前は、特に足が描かれていないというわけではなかった。
応挙の代表的な幽霊画として知られる「反魂香之図(はんごんこうのず/返魂香之図)」は、女性の下半身が煙に溶け込むように描かれており、足が見えない。これは死者の姿を煙の中に現す「反魂香(はんごんこう)」という香の煙から、故人が立ち現れる場面を描いたものである。反魂香とは中国の伝説に登場する香で、前漢の武帝が最愛の妻を亡くした際、悲しみのあまり道士に作らせた。これを焚き上げると、立ち上る煙の中に夫人の姿が浮かび上がったという。反魂香をめぐる伝説の多くは、煙の向こうに立ち現れた死者に触れようと近づくと消えてしまう悲劇で終っている。この伝説を踏まえると、応挙の作品は足がないというより、煙の中に消えて見えないという表現だったようである。
この絵画は妻と愛人を亡くした弘前藩の家老・森岡元徳が、彼女たちを供養するため、応挙に製作を依頼したもので、森岡は久渡寺にこれを寄進した翌年自害したという(註)。また、アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校付属美術館に所蔵されている幽霊画「お雪の幻」は、夢枕に立った妻の姿を描いたものとされている(諸説あり)。あるいは、病気がちだった妻の姿に儚さを感じ、表現したものなのかもしれない。
(註)弘前経済新聞「弘前・久渡寺所蔵の幽霊画「返魂香之図」、応挙真筆認定 市有形文化財に」(2021)
「足のない幽霊」が日本人に受け入れられた理由
応挙の幽霊画は大変な評判を呼んだ。後に歌川国芳や葛飾北斎ら人気浮世絵師たちが、応挙の作風を踏襲したり、劇作家・鶴屋南北が歌舞伎「東海道四谷怪談」の舞台演出に応挙のスタイルを採用するなどした。そうしたことから、大衆の間に幽霊とは足がないものというビジュアルが浸透していった。「足のない幽霊」の絵は応挙が元祖というわけではなく、応挙以前にも見られるという。とはいえ、応挙の高い芸術性が作家にも大衆にも受け入れられたことは事実である。「足のない幽霊」のイメージが、現代にまで伝わっていることを考えると、日本文化史における応挙の影響は極めて大きいといえるだろう。
だがそれだけだろうか。日本人が「足のない幽霊」に共感したのは、日本人の心性そのものにあるのではないだろうか。日本人の心性のひとつに「境界の曖昧さ」があるように思われる。昼と夜の間(夕方)は逢魔ヶ刻と言い、異界との接続の時間とされ恐れられた。また、お彼岸の由来は、春分と秋分の日は昼と夜の長さが同じであることから、彼岸(極楽浄土)と此岸が近づく日とされた。この日に墓参をするのは死者との交流を願ってのことである。日本人の心は、生と死、この世とあの世の狭間で揺らいできた。応挙の幽霊はそれを可視化したものだったのではないか。
『松林図屏風』に見る日本人の「あわい」の美学
日本人の心性という観点から考えると、応挙の幽霊画に接続するように思われる絵画が存在する。安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1539-1610)の「松林図屏風」である。白く濃い霧に霞む松林と、奥にはさらに薄く、冬山が浮かび上がっている。色を一切使わず墨の濃淡だけで表現されたこの作品は、近世日本水墨画の代表作と言われる。霧に霞む松林や冬山の風景は、曖昧で幻想的な風景を醸し出し、松林も後方に描かれているものは存在しているのかどうかもわからない。まるで彼岸と此岸の狭間に揺らいでいるかのようである。
また、美術の世界では松は落葉しないため、永遠の象徴とされてきた。その松が彼岸と此岸の狭間に揺らめいている姿を見ていると、あの世にあって永遠に生き続けている死者の姿がこの世に反映されている寓意であるかのような印象を抱く。この姿形がはっきりしない、境界をなくすかのような作風は、余韻を愛する日本人の心性そのものである。応挙の描く幽霊も足を隠すことでこの世への余韻を描いているのかもしれない。「地に足が着く」というが、地に足が着いていない幽霊は、生と死の狭間にいる者の表現であるように思われる。この作品からは、日本人には「境界の曖昧さ」を愛する土壌がすでにあったと気づかせられる。
足のない幽霊が映し出す日本人の死生観
応挙以来、日本人にとっての幽霊には足が消えることになった。そこには応挙の高い芸術性、後世の作家への影響など、様々な複合的な要因があったことは確かである。だが何より応挙の描く幽霊が日本人に刺さったのは、存在と無、生と死の狭間に揺らぐような「松林図屏風」を愛する、日本人本来の心性であるように思われる。日本人が応挙の描く幽霊に共感した理由。それは、単に足がないからではない。存在と無、生と死の境界を漂う姿こそ、日本人が思い描いてきた幽霊の姿だったからではないだろうか。



























