御朱印集めがブームになって、今では神社でも御朱印を頂けるし、お城までも「御城印」といって集められるようになっている。ほとんどスタンプラリーのようで、本来の「納経をした証」としての御朱印の意味をわかっている人がどれほどいるのかと思うほどだ。御朱印を頂くときはきちんとお参りをして、納経しないまでも、般若心経くらいお唱えしたいものである。
お遍路や巡礼の歴史は古い
四国のお遍路や西国三十三所巡礼は歴史も古く、地域に根付いている。坂東三十三箇所巡礼は西国三十三所を移したものだが、歴史はかなり古い。しかし意外に知られていない。西国三十三所と、坂東三十三所と秩父三十四所の観音巡礼で合わせて百観音と言われている。ほかの二つの霊場が広範囲に渡っているのに対し、秩父は埼玉県の一角でしかないのに三十四箇所も札所があるというのはやはり独特の文化と言える。秩父は江戸から近く、巡礼しやすかったので、江戸の庶民が巡礼するのにちょうどよかったのだろう。
地域に根付いた巡礼文化
秩父は巡礼者にも優しく、「巡礼道」と書かれた看板があったり、街の人が声をかけてくれたりする。秩父には「巡礼」の文化があると感じる。四国八十八箇所のお遍路はもっと巡礼文化が発達していて、お遍路をする人はきちんと巡礼の姿でお参りをする人が多いし、街の人も巡礼者に対して、もてなすのが当たり前になっており、とても親切である。
関西や四国に残る満願した御朱印著をお棺の中に入れるという風習
関西や四国には巡礼した人が亡くなった時に満願した御朱印帳をお棺の中に入れる、という地域がある。宗派に寄るかもしれないが、御朱印帳は極楽への手形、ということのようだ。地獄へ行くか極楽へ行くかの裁判をする閻魔様に御朱印帳をお見せすると極楽へ行ける、というのだ。関西の人に聞くと「自分の親のお棺に入れた」という人は多い。
ネットで売られている満願した御朱印帳
昔から満願した御朱印帳は売られてはいたようだが、今はネットで「満願御朱印帳」が売られていたりする。巡礼をしていない人のための、満願した御朱印帳が売られているのである。本人か、せめて家族などが回らなければ意味がないような気もするし、まして誰が回ったかもわからないものをネットで買ってお棺に入れたからといって、閻魔様がそれを見抜けないこともないだろうと思うけれど、そこまでしてでも御朱印帳をお棺に入れなければ極楽に行かれないという信仰があるのだろう。人が回った御朱印でも、それをお棺に入れてくれたということは、その人は観音様に守られているのだ、という証になるのかもしれない。
しかし、満願した御朱印帳をお棺に入れるというのは、西日本の人からしか聞いたことがないので、おそらく、お遍路と西国巡礼のような巡礼の普及度が東日本とは違うということなのだろう。