人間は死んだ後はどこへ行くのか。天国か、来世に生まれ変わるのか、それとも「無」か。地獄行きだったら恐ろしいことだ。しかもその原因が生きている間にキリストの教えを聞かなかったからだとしたら。しかし死後にもう一度、救われるチャンスがあるとしたらどうだろうか。
セカンドチャンス論とは
セカンドチャンス論とは、キリスト教の一部の会派で唱えられている思想で、キリスト教の福音に触れずに死んだ不信心者にも、もう一度福音に触れて救われるチャンスがあるという聖書の解釈である。キリスト教では人は死後、「よみ」(陰府、黄泉)の世界に行くと説く。この「よみ」で福音を聞き、最後の回心の機会が与えられるとするのがセカンドチャンス論である。この論では地上における回心の機会がファーストチャンスということになる。福音とは基本的には現世で説かれ、現世で救いを約束される。信心を獲得すれば臨終の際にも安心して旅立てるわけであるが、それができずに死んでしまう人間もいる。そんな彼らにも最後のチャンスが与えられるとしている。
セカンドチャンス論 肯定派の根拠
イエス・キリストは死後3日後に復活したとされる。ではその3日の間はどこで何をしていたのか。彼は「よみ」に下り、苦しむ死者を救った「キリストの陰府下り」という話がある。西欧キリスト教会は公式に「十字架につけられて死に、葬られ、陰府に下り、三日目に死者のうちから復活し…」との信仰を宣言している。
またセカンドチャンスの根拠として挙げられるのが、一番弟子で初代ローマ教皇ペテロが書いたとされる手紙の一節である。
「キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられた」(3章19節)
「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていた」(4章6節)
「よみ」は「陰府」「黄泉」「冥府」といくつも訳されているが、永遠の苦しみを味わう「地獄」とは異なり、すべての死者が最初に行く場所のようである。一方で「よみ」と地獄を同じだとする解釈もあり「よみ」とは何なのかは定まっていない。いずれにしてもイエスは死と復活の間に死後の世界に赴いたことでは一致している。セカンドチャンス論者は「よみ」は不信心者が落ちる場所であり、イエスは「よみ」にいる死者に福音を与え救ったのだと主張している。
なお東方正教会ではイエスは磔刑の後に埋葬され、靈(たましい)にて地獄に降り、地獄に居た義人を解放して天国に入らせたと伝わる。正教は原罪を認めないなどカトリックに比べるとやや穏健な印象があり、西欧キリスト教の本流に比べるとセカンドチャンス論に近いかもしれない。
救いのチャンスは一度?
セカンドチャンス肯定派は全体から見ると少数派で、西欧キリスト教諸派のほとんどで否定されている。セカンドチャンスがあるなら、この世での伝道に意味がないことになるからだ。中には死後に回心すればいいと、この世で悪事を働く輩も出てくるかもしれない。セカンドチャンスを信じたい気持ちはわかるが、ご都合主義だというわけだ。輪廻転生などを認めていないキリスト教の救いは神に創造されたこの地上において、この生涯においてのみということであり「人生ただ一度きり」の思想といえる。
しかし福音を聴く機会があるにも関わらずこれを無視した者についてはともかく、キリスト教が布教される前の時代、国に生まれた人はどうなるのか。福音に預かっていないのだから、彼らは当然地獄行きである。セカンド・チャンスがない以上救われることはない。だが彼ら自信に何の罪があるのか。フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)は日本人にこうした疑問を突きつけられた。洗礼を受けていない親や先祖はどうなるのかと問われ、やむなく地獄行きだと答えるしかなかった。ザビエルの容赦ない回答に彼らは非常に悲しんだという。
救いのチャンスは一度きり。これは相当に厳しい思想である。キリスト教は信ずる者は救われるが、信じない者は異端者として救われないという排他的な面がある。非クリスチャンとしては神とはそれほど狭量なのだろうかと問いたくなる。キリスト教内でもそうした疑問を抱く者は古来から絶えず、内村鑑三(1861〜1930)ら少数派による「万人救済説」が唱えられてきた。死後の希望を説くセカンドチャンス論も一定の支持を集め消えることはなさそうである。
信仰に賭ける
非クリスチャンの筆者がどちらが正しいなどとは言えない。聖書には様々な解釈があり絶対的な答えは存在せず、肯定・否定どちらの論拠にも一理あるように思える。心情的にはセカンドチャンスがあると考えた方が安らかな死を迎えられそうではある。「セカンドチャンス」という響きがよい。死後の希望を感じさせ、臨終における大きな力になりそうだ。信じてみるのもよいかもしれない。
信仰は賭けなのだろう。親鸞はたとえ師・法然の教えがウソで地獄落ちだったとしても決して後悔しないと言っている。死後のことは人間の理性を超えた領域であり、何を信じるかは自身に託されている。
参考資料
■佐藤博「セカンドチャンス(死後の救いの可能性)肯定論」レムナント出版(2022)
■久松英二「ギリシャ正教 東方の智」(2012)講談社選書メチエ
■新約聖書 新改訳 国際ギデオン協会