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目黒の五百羅漢寺の羅漢像を彫り上げた松雲元慶に影響を与えた笵道生

東京都目黒区下目黒に、五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)がある。もともとは本所五つ目(現・江東区大島(おおじま))に所在していたが、明治41(1908)年に、現在地に移り、今日に至っている。五百羅漢寺といえば、近世日本の彫刻史に名を残し、寺の名前でもある「羅漢さん」、すなわちパーリ語のarhat(アルハット。「聖者」「人々から供養・施しを受ける資格がある人」「尊敬に値する人」)の音写・阿羅漢(あらかん)こと、お釈迦様の眷属として考え出された修行者たちの木像が有名だが、それをつくったのが、京都出身の仏師(ぶっし)・久兵衛こと、松雲元慶(しょううん・げんけい、1648〜1710)だった。

目黒の五百羅漢寺の羅漢像を彫り上げた松雲元慶に影響を与えた笵道生

仏師・久兵衛こと松雲元慶が羅漢像を作るまで

11、2歳の時、仏師屋に奉公に上がった久兵衛は、全ての工程が完全分業体制だった当時の仕事ぶりや彫刻そのものに強い疑問と反発を抱くようになっていった。とはいえ、そこから脱することもままならない。そうした中、久兵衛は、鉄眼道光(てつげん・どうこう、1630〜82)と出会う。

鉄眼は寛文4(1669)年に一切(いっさい)経刻蔵(こくぞう、印刷・出版・頒布、そして後世に残すこと)の発願を立て、資金行脚を行っていた。そんな鉄眼に心打たれた久兵衛は、鉄眼の弟子・松雲となり、厳しい修行の合間に仏像を彫ることとなる。その後、松雲もまた、仏道修行のために諸国行脚に出たのだが、全国の羅漢寺の総本山である豊前国の羅漢寺(現・大分県中津市)を訪れた際、日本最古の五百羅漢像を目にして、深い感銘を受けた。そして松雲は貞享4(1687)年、五百羅漢像造立を志願し、江戸に下った。そこで浅草・浅草寺の門前や周辺を歩いては「五百羅漢造立勧化(かんげ)」ののぼり旗を持って、わずかな施しを受ける日々を送っていた。とても貧しい生活に陥った松雲は、とうてい羅漢像完成には程遠いと絶望しつつも、鉄眼と同じ門下であった向島(むこうじま)・弘福寺の鉄牛道機(てつぎゅう・どうき、1678〜1700)を訪ねた。厳しい言葉をかけつつも、鉄牛は松雲への支援を惜しまなかった。それに勇気づけられた松雲は、夜間の制作と昼間の街角での喜捨を求める生活を続けた結果、発願から10年以上の月日が経過した元禄4(1691)年、1体の羅漢像完成にこぎつけた。それから2年後には、50体の羅漢像を完成させ、開眼法要に至ったのである。

松雲元慶が影響を受けたという中国人仏師・笵道生

松雲元慶が影響を受けたという中国人仏師・笵道生

上野公園内の西郷隆盛像(1897年)で知られ、日本における近現代彫刻の父と称される高村光雲(こううん、1852〜1934)が修行時代、本所にあった頃の五百羅漢寺に通い、自らの手本にしたとされ、なおかつ東京藝術学校(現・東京藝術大学)の教授だった時には、学生に参考にするよう指導していたという松雲の羅漢像だが、独力で成し遂げたものとはいえ、明代の中国人仏師・笵道生(はん・どうせい、1637〜1670)の作風に強い影響を受けているという。

中国人仏師・笵道生とは

中国人仏師・笵道生とは

笵道生とは、福建省南部の泉州(せんしゅう)出身で、父も仏師だったというが、1660(万治3)年、25歳のときに、今日「長崎四福寺」の一寺に数えられる黄檗(おうばく)宗の福済寺(ふくさいじ)に、寺主で道生同様、福建省泉州出身の蘊謙戒琬(うんけん・かいわん、1610〜1673)の招きで「仏師」として来日した。残念なことに、昭和20(1945)年8月に投下された原子爆弾によって消失してしまったが、そこで「韋駄天(いだてん)像」などを制作したという。それから3年後、福建省福州出身で、日本に黄檗宗をもたらした高僧・隠元隆琦(いんげん・りゅうき、1592〜1673)が1661(寛文元)年に京都・宇治に開いた萬福寺(まんぷくじ)に招かれ、道生は「隠元隆琦像」(1663年)や「十八羅漢像」(1663〜1664年)などを制作した。

萬福寺は1年間の短い滞在だったとはいえ、大胆かつ、柔らかくも人間臭さに満ちた作風だったことから、道生はその名を一気に挙げた。しかも道生がつくったものは、ただ「奇抜」「物珍しい」だけではなかった。粘土で原型をつくり、その表面に麻布を貼り固めた後に、像内の粘土を除去して中空にし、麻布の表面に漆を塗って成形する、「脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)」という、日本では天平時代の8世紀に盛行していたものの、当時の日本では廃れていた手法を再び、紹介した。更に像の衣縁(いより、主に僧衣)部の装飾では、細長く伸ばした紐線を貼りつけて図柄を描く技法も用い、それは道生が生まれ育った福建省泉州や厦門(あもい)などの沿岸部で伝統的に用いられてきた「漆線彫(チーセンティオ)」であると推定されている。これらの技は後に、京都出身の松雲はもちろんのこと、多くの京都の仏師たちに再び、継承されたという。

36歳で亡くなった笵道生

36歳で亡くなった笵道生

羅漢像を完成させた後、道生は萬福寺を辞した。70歳を迎えた父親の誕生祝い、または病気見舞いのために、いったん帰国を決意したとされる。道生は長崎までの道中、隠元の高弟だった即非如一(そくひ・にょいつ、1616〜1671)に随侍していたと考えられているのだが、豊前小倉藩(現・福岡県北九州市)を通過した折、かねてより新しく黄檗宗の寺の創建を考えていたとされる、藩主の小笠原忠真(たださね、1596〜1667)に引き留められ、どの程度の期間であるかは不明だが、滞在した。その後、1665(寛文5)年に晴れて即非が開山となった福聚寺(ふくじゅじ)に、仏像ではなく、「韋駄天像」などの見事な絵を残している。

日本を離れてからの道生は、父親が住んでいた広南(こうなん)国(現・ベトナム中部)から、見事な墨跡と共に十八羅漢を描いた「十八応真(おうしん、阿羅漢の別称)図」を、萬福寺内の塔頭(たっちゅう、本寺の脇に建てられた小寺)・漢松(かんしょう)院の、隠元に従って来日していた独吼性獅(どっく・しょうし、1624〜1688)に送ったとされる。

時を経て、道生は再び、寛文10(1670)年6月〜8月に、来日することになった。それは、寛文12(1672)年までに萬福寺に戻り、本尊造像を行うなどの約束を交わしていたためだったという。しかし道生は新規来航者と見なされ、長崎港までたどり着いてはいたものの、日本国内への入国・滞留が認められなかった。それを受けて、長崎奉行や江戸幕府に対し、黄檗宗の高僧たちの働きかけがあったものの、道生が一旦帰国していたことを理由に、このまま帰国するよう命じられてしまう。9月前後に吐血を患っていたという道生は、帰国便を待つ船の中で11月2日の夜、志半ばで亡くなってしまった。36歳の若さだった。死後、道生は、福済寺同様、「長崎四福寺」に挙げられる崇福寺(そうふくじ)に葬られた。

最後に…

日本政府は今年1月、新型コロナウィルスの感染拡大を受け、外国人の新規入国を原則、停止していた。出入国在留管理庁によると、同庁から留学や技能実習などの在留資格の事前認定を受けているにもかかわらず、来日していない外国人がおよそ37万人いたという。しかし政府は11月5日に、感染拡大が沈静化していること、そして経済活性化のために制限を緩和し、海外のビジネス関係者や留学生、技能実習生の新規入国を8日から認めると発表した。日本に夢や希望を抱き、人生を賭けて初来日する彼らと、「プロ」として「福建省出身」の「黄檗宗コミュニティ」の縁で日本に招かれた道生の立場や状況とは、必ずしも重なるものとは言えないかもしれないが、もしも彼らの新規入国・滞在が叶ったとしたら、「ほんの目と鼻の先」の日本の土を踏めずに命を落とした道生の分まで、日本での暮らしや学びを満喫して欲しい。絶命までのおよそ3ヶ月間、船内から外に出られない格好の道生が、何を考えながら長崎の海や遠く霞む港を眺めていたかは不明だが、コロナ禍の今を生きる外国人の若者たちが笑い、泣き、怒り、苦しみながらも、一度きりの人生の一部を日本国内で刻むことが、間接的ではあるが、道生の供養にもつながるはずだ。 

参考資料

■(財)全日本仏教会/寺院名鑑刊行会(編)『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東篇』1969/1970/1973年 (財)全日本仏教会/寺院名鑑刊行会
■江口正尊「黄檗山万福寺の仏像と仏師笵道生」駒沢大学大学院仏教学研究会(編)『駒沢大学大学院仏教学研究会年報』第11号 1977年(10−24頁)駒沢大学大学院仏教学研究会
■宮田安「笵道生」長崎新聞社・長崎県大百科事典出版局(編)『長崎県大百科事典』1984年(718頁)長崎新聞社
■桑野梓「長崎に渡来した中国人仏師と唐様十八羅漢像 −萬福寺を中心に−」関西大学アジア文化交流研究センター センター長 松浦章(編)『アジア文化交流研究』第4号 2009年(217−233頁) 関西大学アジア文化交流研究センター
■目黒区教育委員会事務局地域学習課文化財係(編)『めぐろの文化財 増補改訂版 2』2007/2010年 目黒区教育委員会
■津田徹英「脱活乾漆造の菩薩立像の調査」『東京文化財研究所』2007年6月 
■田村隆照「五百羅漢」今泉淑夫(編)『日本仏教史辞典』1999/2016年(346頁)吉川弘文館
■水野敬三郎「松雲元慶」今泉淑夫(編)『日本仏教史辞典』1999/2016年(471頁)吉川弘文館
■大槻幹郎「鉄牛道機」今泉淑夫(編)『日本仏教史辞典』1999/2016年(731頁)吉川弘文館
■大槻幹郎「鉄眼道光」今泉淑夫(編)『日本仏教史辞典』1999/2016年(731頁)吉川弘文館
■天恩山 五百羅漢寺(編)『らかんさんのことば』2018年 天恩山 五百羅漢寺
■九州国立博物館(編)『九州国立博物館文化交流展 特集展示 「没後350年記念 明国からやって来た鬼才仏師 笵道生」』2021年 九州国立博物館
■「九州国立博物館文化交流展 特集展示 没後350年記念 明国からやって来た鬼才仏師 笵道生」『九州国立博物館』2021年7月17日〜10月10日 
■「コロナで制限、留学生の入国9割減…原則認めないのはG7で日本だけ」『読売新聞オンライン』2021年9月18日 
■「(天声人語)コロナと留学」『朝日新聞DIGITAL』2021年10月28日 
■「ビジネス・技能実習生らの新規入国再開へ 首相周辺「業界から声が」」『朝日新聞DIGITAL』2021年11月5日 
■「留学生の入国制限、緩和されたけど 落胆の声相次ぐ理由」『朝日新聞DIGITAL』 2021年11月13日 
■『天恩山 五百羅漢寺
■『黄檗宗大本山 萬福寺
■「【県指定】広寿山福聚寺」『北九州市』
■「長崎・聖寿山崇福寺」『ここは長崎ん町』 http://isidatami.sakura.ne.jp/soufukuzi1.html
■「長崎往来人物伝(3)笵道生」『長崎Webマガジン ナガジン』

ライター

鳥飼かおる(掲載日:2021/11/22)

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