新型コロナウィルス感染から肺炎を発症し、わずか2週間足らずで2020年3月29日に亡くなった、コメディアンの志村けん(1950〜2020)を顕彰する銅像が完成し、今年の6月26日に、西武鉄道・東村山の駅前に設置された。羽織袴をまとった笑顔の志村が「アイーン」のポーズを取る像の高さは1m84cm、重さは284kg。しかもその像は、通常の銅像に用いられているものよりもはるかに銅の含有率が高く、厚みもあることから、5000年の耐久性があるものとされている。台座には、「多くの笑いと感動をありがとう」と、昭和〜平成〜令和の長きに渡り、テレビ界で大活躍を続けてきた志村への感謝の言葉が刻まれている。
遺言を残した森鴎外
今現在、生前の志村けんがいわゆる「終活」を行っていたであるとか、具体的な「遺言」を残していた等のことは明るみになってはいない。しかし、今年の7月9日に百回忌を迎えていた明治の文豪、そして医学博士・軍医でもあった森鴎外(1862〜1922)は、亡くなる3日前に、ヨーロッパ留学中の長男・於菟(おと、1890〜1967)宛に、鴎外の生涯の友であった医師の賀古鶴所(かこつるど、1855〜1931)が口述筆記した「遺言」を残している。鴎外、そして昭和初期から戦後にかけて活躍した文豪・太宰治(1909〜1948)も眠る東京都三鷹市下連雀の禅林寺(ぜんりんじ)には、その全文を刻んだ石碑がある。
森鴎外の残した遺言の全文
余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ
一切秘密無ク交際シタル友ハ
賀古鶴所君ナリコゝニ死ニ
臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ワス
死ハ一切ヲ打チ切ル重大事
件ナリ奈何ナル官権威力ト
雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
余ハ石見人森林太郎トシテ
死セント欲ス宮内省陸軍皆
縁故アレドモ生死別ルゝ瞬間
アラユル外形的取扱匕ヲ辞ス
森林太郎トシテ死セントス
墓ハ森林太郎墓ノ外一
字モ彫ル可カラス書ハ中村不折ニ
依託シ宮内省陸軍ノ榮典
ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハ
ソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云
ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ
許サス 大正十一年七月六日
森林太郎言
賀古鶴所書
私人としての死を望んだ森鴎外
つまり、「森鴎外」として、過去に成し遂げたあらゆる業績、そしてそこで得、なおかつ死後に更に得るであろう栄誉・名誉は捨て去り、石見(いわみ、現・島根県浜田市)出身の「森林太郎」として死にたい。更に墓には、「森林太郎墓」以外の、顕彰的な文字を彫ることはならないと強く求めていたのである。
「鴎外らしさ」に満ちた、一切の無駄や装飾がない硬質な文体ゆえに、後世の文学研究者からは、「鴎外最後の作品」と称された遺言書だが、そこに語られた鴎外の願いは受け入れられ、寺内の墓所には、画家・書家の中村不折(ふせつ、1866〜1943)の手による「森林太郎墓」のみが彫られた墓碑が立っている。
また、昭和28(1953)年7月には、鴎外の故郷である島根県鹿足(かのあし)郡津和野町(つわのちょう)の古刹・永明寺(ようめいじ)にも、鴎外が望んだ形の墓が立てられている。
突然過ぎた志村けんの死
志村けんの銅像に話を戻すと、志村は果たして、日本中の人々をテレビに釘づけにしたコメディアンの「志村けん」として死にたかったのか。それとも鴎外的な言い方をすれば、「東村山人志村康徳」として死にたかったのか。或いは、「志村けん」でもある「志村康徳」そして、「志村康徳」でもある「志村けん」を望んでいたのか。萎縮腎、そして肺結核という重篤な病に倒れていたとはいえ、遺言を語る時間、そして最後の力を振り絞っていたとはいえ、それでも、肉体的・精神的な「余力」があった鴎外とは異なり、志村の場合、突然の死ゆえに、「それどころではない」。コロナに倒れる前にしても、もっとあれこれ、やりたいことやしなくてはならない大切な仕事がたくさんあり、そちらに全神経を集中していたはずである。それだけに、志村の突然の死が実に悲しく、やりきれない思いにさせられる。
志村けんはなにを思うか
しかし、東村山駅そばには志村の銅像がある、ただそれだけでも、志村の一挙手一投足に大笑いした多くの人々にとっては、心の拠り所になることは言うまでもない。「志村康徳」の魂は今、安らかに眠っているのであろうが、不世出のエンターテイナーであった「志村けん」の魂は時折、銅像の後ろに隠れて、手を合わせて祈ったり、スマートフォンを向けて記念撮影をしたりしている、小さな子どもからお年寄りに至る、大勢のファンの様子をこっそり見ながら、面白いことを言ったりやったりしようとうずうずしているのではないだろうか…。
参考資料
■澁川驍「森鴎外」森鴎外『現代日本文學大系 8 森鴎外集(二)』1971年(364−393頁)筑摩書房
■小堀杏奴「森鴎外文学紀行 切支丹と亡父鴎外」志村隆(編)『現代日本文学アルバム 第1巻 森鴎外』1974年/2004年(69−100頁)学習研究社
■尾崎秀樹「森鴎外とその時代」志村隆(編)『現代日本文学アルバム 第1巻 森鴎外』1974年/2004年(181−212頁)学習研究社
■工藤寛正『文豪墓碑大事典』2020年 東京堂出版
■「永明寺(ようめいじ)」『島根県津和野町』
■「志村けん氏」『東村山市』
■『志村けんさん銅像プロジェクト』
■「庭園や総茅葺きの本堂!森鴎外の墓もある島根・津和野『永明寺』」『トラベルjp』2016年11月4日
■「コメディアンの志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎発症」『NHK NEWS WEB』2020年3月30日
■「志村けんさんの銅像完成 東京 東村山で除幕式」『NHK NEWS WEB』2021年6月26日
■「志村けんさん銅像完成 特別素材で耐久性は「5000年」だいじょぶだぁ」『Sponichi Annex』2021年6月27日
■「鴎外の遺言書を公開 文京の記念館 きょう百回忌」『東京新聞 TOKYO Web』2021日7月9日