「墓を買う奴なんて、バカだよ。」げっ、なんという罰当たりことを。
衝撃なこの発言主は、某造園業者のおじさんです。
職業柄、お寺や墓地関連の仕事も随分こなしてきたというこの男性、いったいどういうこと?詳しく聞いてみました。
この先どこに移り住んでいくかわからないのに軽い気持ちでお墓は買えない
子供の頃にこの地に移り住んでからもう数十年、産まれた土地には既に近親者もなく、お墓も無くなっているそうです。
じゃあご両親の遺骨なんかは、どうされたんですしょうか?
それは、彼のお兄さんが持って東京に住んでいるそうです。で、お兄さんがその遺骨を納めて、将来的に自分も入るためのお墓を最近買ったそうで。普通の話のようですが?
「だから兄貴はバカなんだよ。」
いやいやそんな。でも、なんで?
曰く、親の地元でお墓もあった出生地を離れて以来、距離的な事情からお墓参りにはろくに行けなかったそうです。やがてお兄さんは東京に出て就職、ご両親も亡くなり、親戚達との付き合いも徐々になくなり―。
「だから墓は寺に返しちゃったんだよ。墓なんかあったって、誰も行かなくなりゃしょうがねえだろ。」
なるほど。そういうことですか。それにさ、と彼は続けました。自分の子供やお兄さんの子供だって、その先の子孫だって将来どこに移り住んでいくかわからない。別にお墓のある土地に縛られなくたっていい。うーん、一理あるなあ。
ポータブルなお墓!
でもあなたが亡くなった後、お子さんは遺骨をどうするんですか?ずっと持っていて、子孫に受け継いでいくわけにはいかないでしょ?
「そんなもん、庭にでも撒いちまえばいいんだよ。それでよ…」と、ここからが本題とばかりに彼は身を乗り出してきました。
「身内が誰か死んだら、骨をちょっとだけ取って、何だっていいから小さな箱にでも入れとくんだよ。誰か死ぬ度に同じ箱にちょっとずつ入れて、それを子供が受け継いでいきゃいいのさ。どこにでも持ち運び可能な、ポータブルの墓だよ、ハッハッハッ。」
ポータブル。正直、目から鱗が2、3枚落ちたような気分でした。おじさんは更に続けます。
「いずれ誰も行かないような墓になっちまうより、家にあって毎日手を合わせてりゃあ、そっちの方がよっぽど死んだ先祖を大事にしてるってもんだよ。」
彼は仕事で、誰も来なくなって廃れていくお墓をたくさん見てきたそうです。だからこの一見乱暴な考えは、罰当たりというよりもむしろ、現代社会において先祖を大事にしていく一つの道を示しているのでは…?という大仰な思いすら抱いてしまいました。けっして亡くなった身内を粗末に扱うのではなく、どこに引っ越そうが毎日自宅でお墓参りできる状態、ということか。
宗教的にはこのスタイル、許されるのでしょうか。罰が当たらないか、ちょっと心配です。まあ時代の変化とともに供養の仕方も変わってきているわけですし、神様仏様もOKしてくれますかね。
中々お墓参りにいけないのが現状ではないでしょうか?
ウチもいずれそうしようか、と女房に言ってみたら、「散骨なんて好き勝手にしたら、人骨が発見されて死体遺棄と間違われるんじゃないの?」なかなか鋭いことを言う。
それで『散骨』をネット検索してみると、法的な是非も含めて色々と出てきました。要は、ダメじゃないけど、ちゃんとルールとマナーを守ってね、ということらしいです。
では散骨はできるとして、もしお墓を無くすことしたら…親戚の中で白い目で見られそう。大多数の保守的な日本人には、やっぱり相当勇気がいる行為ですよね。
しかし私の家のお墓も遠く離れた土地にあり、正直めったに行けないのが現状。アンコール・ワット並みに古びたあの墓石、新しくするぐらいなら、近くにお墓を引越したいところですが。結局この問題は、先送りにして暮らすうちに息子達にパスすることになるかも。考えたら私も亡父からパスされたわけですから。