戒名や法名、法号とは、仏教で授戒したものに与えられる出家修行者としての名前で、戒律を守ることを誓約した証拠になるものである。本来は仏門に帰依したものだけが持つのが戒名だが、わが国では、死んだらだれでも成仏するという死生観が生じたことから、故人は授戒していたとみなして戒名を付ける風習が育ってきた経緯がある。
仏弟子であることを証明してもらうのが戒名ではあるが…
仏教学部を卒業した友人が「戒名ってのは仏弟子にもなっていないのに戒に従って修行したフリを死人にさせてるわけで、戒名なんて付けないほうがよっぽど正直で潔くて成仏できる」と語っていた。
ルポライターの朝山実氏が「父の戒名をつけてみました」という本を著している。費用のかかる葬儀や戒名料に対する疑義を宗教学者が告発した書籍に啓発されて、生前から寺を嫌っていた亡父の戒名を自分でつけようとしたことの顛末が書かれている。
著書の中で、朝山氏が自分で戒名を付けたいと菩提寺にお願いしてみたら「そんな常識外れなことをしたら仏さんは浮かばれないよ」とか「そんなにおかしなことを言うのなら、墓に入れてやらない」などと脅すように言い返されたという。
戒名を授かるために支払うお布施とは一体なんなのか
戒名料に相場があって、格式の高い戒名を授けてもらうのに非常に高額なお布施を包まないといけないなどという話は、どなたでも一度はお聞きになったことがあるだろう。
となると、立派な戒名を授かった人とそうでない人は何が違うのだろうか。そもそも戒名料として払うお布施とはなんなんだろうか。
お布施はすなわちお寺の収入源、生活の糧である
日本式の仏教の場合、キリスト教などのように頻繁に教会を訪れて寄付をする習慣のようなものはない。つまり、寺の僧侶は都度発生する葬祭儀礼でのお布施が生活の糧となる。そうなると、お布施の一種である戒名料も、なるべく多くもらえたほうがありがたいというのが実際のところだ。
とはいえ僧侶による戒名の授け方も、宗派の慣習に従って適宜に文字を配置しているだけのことで、本来の仏教の教えからすると、これといった意義のある行為ではないことは、前述の仏教学部出身の友人の主張する通りだ。
どんなに格式の高い戒名を授かったところで、それは現代社会の経済原則に従ってみただけのことで、あの世にまで力が及ぶはずもない。
戒名料についてはしばしば批判されてきた
戒名料に相場があったり、それがしばしば高額になり得ることについては、日本の仏教界のみならず、一般消費者の間でも批判の対象になってきた。最近は戒名を授けるのに、一律低額料金であることを言明するお寺も出てきた。また俗家の人が戒名を付けるための解説本や自動で戒名を付けてくれるコンピュータ・ソフトまで登場している。
戒名料の相場に困った時は葬儀社に聞くのが良い
戒名料はあくまでお布施だ。究極的には、葬儀を行ってくれる僧侶への感謝の気持ちが伝われば、それで目的を果たしているはずだ。それでもどうしても戒名料の金額で迷ってしまう場合、実際に葬送を取り仕切っている葬儀社の担当の人に素直に相談してみるといいだろう。こういった問題についての専門家である彼らは、今の時代にふさわしい故人への配慮のしかたを懇切に教えてくれると思われる。