ここ、群馬県に移り住んで間もない頃の話です。知人の身内の方が亡くなり、葬儀へ参列することになりました。スーツに着替え黒ネクタイを締め、香典を片手に斎場に着き、さっそく受付に向かったところ…そこで私は不思議なものを目にしたのです。受付が、二つに分かれています。片方には、『親族・一般』。そしてもう一方には、『新生活』と書かれていました。
ここは紛れもなく、お葬式の会場です。受付に、『新生活』…どういうこと?さて、自分がどちらの受付に並んでよいものやら、考えてしまいました。周りの人たちは皆迷うことなく、粛々と目指す受付に向かっています。そのままそこで立ち止まっているのも不自然ですし、誰かに「私はどっちの受付でしょうか」と間抜けな事を聞くのも憚られるお葬式独特の雰囲気…。
「新生活」に並んでみたものの・・・
少なくとも、私は親族ではない。でも一般の弔問客ではある。『親族・一般』なら並んでも、間違いではないような気がします。じゃあ、『新生活』は?大切な人を亡くしてしまった悲しみを乗り越え、新たな生活をしっかり始めようと、心に決意した人達はこちら…などと、わけのわからない妄想も浮かんできます。
考えた末、ここは日本人らしくいこうと決めました。とりあえず周りの人たちの動きに従い、同じようにしておく。見ていると、私と同年代と思しき人達がまとまって『新生活』に並ぶところでした。よし、こっちにしとこう。列の後ろに付いて、自分の番を待ちます。新生活の名のもとに、何か変わった受付の仕方があるのかと前を覗きこんでみると…特にない様子です。皆普通に香典を出し、代りに小さな包みを受け取って、斎場内へと入っていきます。
私の番が来ました。「この度は…」とブツブツ挨拶めいた事を言い、香典を差し出しました。一礼した受付の方から包みを受け取り、さあ中へ…と、私の香典をあらためていたもう1人の受付の方が、「新生活でいいんですか?」と私に怪訝な顔で問いかけて来たのです。はい?間違った?私の後ろには列が長々と出来ていて、今さらこのタイミングで「新生活って何ですか?」とは聞きにくい事この上ない。こんなことならさっき誰かに聞いておけばよかった、さてどうしよう…と、受付の方は、私から返答がないのを肯定の意味に受け取ったようで、軽く頷きそのまま次の方の受付に移ったのでした。
新生活とは??
斎場内に入りながら、私の頭の中は疑問でいっぱいです。なぜ、私が『新生活』の人間ではないとバレたんだろう?間違っていても、そのままスルーしてよい程度の事?そもそも『新生活』って何?結局、その後の別の葬儀の席で先輩に教えてもらいました。
戦後の日本が困窮していた時代、『新生活運動』というものがあったそうです。香典を少額にし、結婚式は会費制にしたりして、お返しを辞退。それによってお互いの経済的負担を減らそう、というものです。それが豊かな時代になると共に廃れていき、今では群馬県と一部の地域にその風習が残っているとのこと。もう香典以外ではほとんどないそうで、他県の人にはわからない、『群馬県あるある』ですね。
あの時、受付の方が私に新生活でよいかどうか尋ねたのは、香典の額が多かったから。「香典返しはいらないのですか?」という意味だったのでした。通常、新生活では2千円か3千円までがこの辺りでは普通、と先輩談。地域によって、地元育ちの方にとっては当たり前でも、よそから来たの人間には不思議なことがありますね。私が育った北海道では、あの当時結婚式は会費制が当たり前でした。こちらでは呼ばれると、いくら包むかちょっと悩みます。