1975年(昭和50年)頃の葬儀の進め方は、現在とは著しく異なる。例えば葬儀をする場所は故人の自宅が多かった。そして、町内会が喪主と葬儀業者との間を調整し葬儀の進行を取り仕切る。大切な人を亡くしたショックと悲しみの中、葬儀の準備の冒頭で町内会から、いきなり「50万円を現金で用意して下さい」などと言われるのだ。この為、喪主はその準備に大わらわだった。喪主にとってその緊急の現金の頼みは、喪主の親子関係・親類だった。
進行の殆どを町内会が仕切っていた半世紀前の葬儀
当時は葬祭業者数はそれほど多くなく、その役割も、葬儀に必要な棺・祭壇・供花の手配が中心で、葬儀の進行についての葬儀業者への都度の指示は葬儀委員長を中心に町内会が取り仕切っていた。(式そのものの司会役は、葬儀業者から出される)つまり、極めて個人の問題である筈の葬儀が、相互扶助を重んじる町内会の重要行事となっており、葬儀会場には、町内会旗も華々しく飾られていた。
喪主にとっての最大の難関は、何といっても先ずは町内会から言われた葬儀費用を現金で用意する事であるが、それを乗り越えれば、家族を亡くした悲しみはあれども町内会にほぼお任せとなるので、その点では比較的気持ちは楽であった。それは、町内会が葬儀進行途上のその都度の葬儀業者への指示も喪主に代わり代行してくれるからであった。
大して知りもしない人も参列していた半世紀前の葬儀
町内会が取り仕切る葬儀では、喪主にとっては煩わしい多くの処理を町内会が代行してくれるので大変助かった。結果的に葬儀を通じて近隣の方々とのコミュニケーションも一層深まる効果がある。問題は葬儀の参列者の範囲は曖昧で何の制限もない事であった。故人や喪主や親族とは何の関係もない人も葬儀風景を見て飛び入りで会葬してくる。亡くなった故人の事を大して知りもしない人が参列するのには現在の感覚では、違和感がありすぎる。
参列者が増えることで香典も増え、膨らみがちだった葬儀費用を補った
細かい話だが、葬儀への全参列者の数が不明なので、会葬品や返礼品をどうすればよいか、戸惑うというものである。しかしながら、昔の葬儀では喪主の世間体や町内会への見栄もあり、両隣を超えた広い範囲に及んで供花を飾りたいという気持ちも働き、葬儀費用は膨らみがちだった。そこでその膨らんだ葬儀費用を補填してくれたのが、大した関係性もない人らも含めた大量の香典だった。
半世紀前の葬儀にもう戻ることはないだろう
50年前なら、都市部でも相互扶助の精神が強く残り、葬儀を町内会の重要行事の一つとして捉えていた。それが今は個人主義、プライバシー意識の高まり、ご近所との人間関係の希薄化で、町内会の組織力は弱まり、葬儀の真の主体が本来の喪主になってきた。そしてこれは主体が変わっただけでなく、その他の点でも劇的に変わっており、今となっては半世紀前の葬儀は見る影もない。半世紀前の葬儀が悪いというわけではないが、当時の葬儀に戻ることはないだろう。