忌み言葉には常に対立的な概念がある。死者がよみがえるということは、人によっては好ましいことであると同時に他の人にとっては恐ろしいことだ。埋葬された死者に対する恐怖が、吸血鬼ドラキュラの伝説を生み出したといえる。魔術の世界では、物や人の本名を知ると、その存在をコントロールできるといわれている。だから本名はめったなことでは口に出してはいけないといわれている。
私たちの感性の中で、死と血は密接に関連している。それは忌避すべきものであると同時に、キリスト教の儀式では、イエスキリストの肉体と血の象徴として、パンとワインを分かち合う。これは吸血鬼とは違い、感謝と祝福の象徴だ。
相手のためでもあり自分のためでもある忌み言葉への理解
相手を傷つけないためにも、自分が恥をかかないためにも、冠婚葬祭の場でも日常生活でも忌み言葉はマスターしておきたい。忌み言葉というものは、その社会はもちろんのこと、一人一人にも大きく依存する。他者から見たら、何でもないような言葉が相手にとってはものすごく気になることもある。受験生などでも、滑るというようなことを意味する言葉が発せられるのを嫌う人もいる。全然気にしない人もいる。
宗教別でも異なる忌み言葉
世界中にある言霊信仰がその起源にあるといえる。言葉を口に出すということによって、その言葉が現実を支配する力を持ってしまうということだ。ご不幸のあった人を前につい、重ね重ねというような言葉を発してしまうと、そのような不幸がまた繰り返して起こるということだ。言霊の力を恐れるあまり、不幸なことは直接的な表現では言わないということもある。「死ぬ」ということも、不幸のあった人の前あるいは葬儀では、直接的な表現は避けるようにするのが良い。「ご逝去」、「ご他界」、「ご永眠」といった言葉を使うようにする。
ご不幸のあった時には、忌み言葉も宗教上のものもあるから気を付けなければいけない。ごく日常的に使っている「冥福」、「往生」、「供養」と言った言葉は仏教用語だ。キリスト者の葬儀などでは使わないようにした方が賢明と言える。「冥福」などは仏教用語だが、浄土真宗では、死後冥土をさまよってゆくという考え方をしないので、浄土真宗でも「冥福」という言葉は使わない。
忌み言葉だけでなく忌み数字も存在する
忌み言葉の基本には、縁起の良い言葉を口にすると好ましいことが起こり、縁起の悪い言葉を口にすると悪いことが起こるということだ。これは同時に、口から発せられた言葉というものが、悪霊を追い払い、その場を清浄なものにするということでもある。
こうした言葉や音の力に対する信仰は世界中で見られる。いろんな儀式では必ずと言ってよいほど、言葉や音が使われる。忌み言葉の中には、忌み数字もある。日本を始め漢字の使われているところでは、数字の「4」は死に通じるとして使うのを避ける。こうしたことも解釈次第で、中国では「五」は「無」に通じるため避けられる。54となると、忌み数が二つ重なるから、嫌う人もいれば、無死とも言えるので、縁起が良いとする人もいる。13日の金曜日は、キリスト教では禁忌ともいえる日だが、この日に宝くじを買うと当たるとも言われている。
神秘的かつ不吉なものとされてきた死だからこそ存在してきた数々の言葉
タブーというのは、社会人類学で使われた言葉が日常化したものだ。未開社会や古代社会で行われていたグループや社会の規範のことだ。これをしても良い、あれをしてはいけないという、規範と言える。
どうしてこうしたものができてきたかというと、科学がまだ無力であったころには、聖と俗というものが社会の言行の規範にあったからだ。今では科学で説明されている物事の出来事がこうした聖と俗のような考え方で説明されていたのだ。
こうしたところから一番の神秘である死ということに対しても多くのタブーができた。それは霊魂でもあり、死者がよみがえるということでもある。死者の復活を望むかあるいは蘇ってくる魂を恐ろしいものとしてとらえるかは、死者との関係にも大きく依存することだ。