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品川区大井にある大井蔵王権現神社を調べてわかった面白い言い伝え

JR京浜東北線・東京臨海高速鉄道りんかい線大井町(おおいまち)駅中央口を出て、立会(たちあい)道路沿いのビルの谷間に、実に小さな神社がある。祭神は金山毘古(かなやまひこ)神・金山毘賣(かなやまひめ)神・建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)である、大井蔵王権現神社だ。平成3(1991)年から始まった「荏原(えばら)七福神巡り」のうちの福禄寿(ふくろくじゅ)を祀ってもいる。

品川区大井にある大井蔵王権現神社を調べてわかった面白い言い伝え

大井蔵王権現神社の創建時期と歴史

大井蔵王権現神社の創建時期と歴史

創建時期は不明だが、平安期の一条天皇の御代(986〜1011年)の頃と言われている。江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』(1830年)には、「蔵王権現社」は大井村の北の高台にあり、神社周辺は「権現台」と呼ばれていたと記録されている。明治43(1910)年に鉄道院の大井工場(現・JR東日本東京総合車両センター)が建設される際に、地域を管掌していた来福寺(らいふくじ、現・品川区東大井3−13−1)に合祀されたが、大正14(1925)年、台地の南側に位置している日本理化工業株式会社(現・株式会社日本理化工業所)の敷地の一部に遷座され、「大井蔵王権現神社」として、今日に至っている。昭和63(1988)年に現在の社殿が新築されたが、奥殿には幾度もの「場所の移動」にも関わらず、寛政5(1793)年に建造されたという石堂が、今も受け継がれている。

大井蔵王権現神社に伝わる面白い言い伝えとは?

この小さな神社には、面白い言い伝えがある。江戸時代の中頃、江戸市中に大火や疫病が蔓延していたが、神社周辺地域は無事だった。それは権現神社の天狗のおかげだった。それ以来村人たちは、太鼓を叩いたり、天狗を祀ったお神輿を担いだりして、感謝の意を表したという…。

「権現」とは、本来仏教で仏菩薩が衆生を救う方便として、権(かり)に種々の姿に化して現れることだが、日本では本地垂迹思想の発達に伴って、平安時代以降に、日本の神道の神々に仏や菩薩たちが当てはめられていった神称である。そして「蔵王権現」だが、修験道を開いた役行者(えんのぎょうじゃ、634?〜701?)が奈良県・吉野の金峯山(きんぷせん)で千日修行の際に感得した権現仏のことで、「金剛蔵王大権現」とも、「金剛蔵王大菩薩」とも言う。


この言い伝えで不思議なことは、本来、霊威を顕わして、村人たちを救ったはずの「神」は、権現台に祀られた「蔵王権現」であるべきなのだが、ここでは、神社に住んでいた「天狗」なのだ。これは一体どういうことなのだろう。

天狗の起源や歴史とは

天狗の起源や歴史とは

そもそも天狗とは、深山に住み、自由に空を飛ぶことができる、想像上の妖怪である。「天狗になるな」などといった、自信満々の人を戒める言葉になるほど、日本国内でよく知られた存在だが、「Toyohashi Tengu」こと、『ハリー・ポッター』シリーズの『ホグワーツ校指定教科書<2>』(2001年)にまで、「日本最強を誇る」クリーチャーとして、作者のJ・K・ローリングの創作による架空の天狗が登場してさえいる、ある意味インターナショナルな妖怪でもある。

しかし「天狗」そのものは、実は必ずしもはっきりとした形状を持つ妖怪ではなかった。

日本に初登場したのは『日本書紀』の舒明(じょめい)天皇9年(637年)の2月23日のことだった。大きな星が東から西に流れた。その音は雷に似ていた。人々が「流星だ」「地雷だ」などと話していると、中国系帰化人の血を引く高僧・旻(みん)が「流星ではない。天狗(アマツキツネ)だ。その吠える声は雷に似ている」と説明した。

当時の日本の世界観は、濃厚に中国思想の影響を受けていた。『史記』『漢書』などにおいて、「流星」などの天体現象は「天狗」であり、大きな災厄の前ぶれである、と記されていた。しかし旻は何故か「流星」ではなく、当時の人々が知らなかった新しい妖怪「天狗」であると言った。そして「天狗騒動」の2年後に、今度は彗星が見られたのだが、旻は「飢餓の予兆」と断言していた。そのため、日本における「天狗」は、中国におけるものと微妙に異なる形で定着していった。

鳴りを潜めていた天狗が、再び世に知れ渡ったきっかけ

その後「天狗」は日本国内においては、しばらく鳴りを潜めていたのだが、平安時代後期に、何故か再び世に現れ出ることになる。『宇津保(うつほ)物語』では、「天狗」は山奥で不思議な琴の音を奏でるもの、『源氏物語』の「夢浮橋(ゆめのうきはし)」では、姿のない木霊だった。しかしだんだんと姿が明確なものとなっていき、仏教説話集の『今昔物語集』では、幻術・妖術をもって、日本社会に深く根付いている仏法や仏教修行者の邪魔をするもの、そして藤原実資(さねすけ、957〜1046)の日記『小右記(しょうゆうき)』などでは、一族を祟ったり、諍いをもたらしたりするものとなる。しかもその姿は、鳥の「トビ」だったり、背中に鳥の翼があり、口も鳥のくちばしを持つ半鳥半人の妖怪として描き出されていく。

何故天狗の姿が「鳥」になったのかは判然としないが、仏教伝来とともにインドの神鳥ガルダが「迦楼羅(カルラ)」として日本にもたらされていたことに加え、飛鳥時代に中国から渡来した伎楽(ぎがく)の中に「迦楼羅面」というお面があることが大きな要因になっているのではないかと考えられている。

更に鎌倉時代に成立した『源平盛衰記』などには、僧侶でありながら驕慢な者は死後、「天狗道」に堕ちるという記述がある。旧来言われてきた「餓鬼道」などとは異なる、日本オリジナルの地獄だ。それは、今日も用いられる 「鼻が高い」などの語源である、高慢な僧侶が多々存在していたことへの皮肉、戒めの意味があるのだろう。

赤顔に高鼻という天狗のイメージを形成したのは室町時代後期

そして我々がよく知る赤い顔に高い鼻、そして山伏姿の天狗は、室町時代後期頃から登場した。それは仏教伝来以前の土着的な山岳信仰に、仏教の密教の呪法が融合した形の、山中での修行が特徴的な修験道が、伝統的な仏教寺院 とは異なった形で大きな勢力を有するようになってきたことと大いに関連している。そうしたことから、鳥タイプの烏(からす)天狗よりも、今日ではある意味メジャーな天狗像となっている。

何故赤い顔に高い鼻なのかというのも、はっきりとした理由はわからないものの、鳥タイプの天狗同様、伎楽の面で、鼻高・耳が大きい「治道(ちどう)面」「酔胡従(すいこじゅう)面」、更に地獄の獄卒である「赤鬼」などが、高慢を体現する鼻高タイプ天狗のイメージ形成に大きく影響したのではないか、と推察されている。

山伏と天狗

中世末期から江戸時代以降、山で修行していた山伏たちは山を降り、「富山の薬売り」的に全国各地を経巡ったり、時に、ある特定の町や村に定住したりして、災難予防や病気平癒のための加持祈祷を生業とするようになっていった。

先に紹介した『新編武蔵風土記稿』によると、江戸後期に北品川宿の北馬場町(現・品川区北品川2丁目)に大光院、南品川新開場(現・品川区東品川1丁目)に仙杖院と不動院、合計3人の山伏が住んでいた。しかも仙杖院は妻と4人の子供と一緒に所帯を持っていたのだ。もちろん、定住せずにあちこちを渡り歩き、地域社会の人々とあまり交流を持たなかったために、記録に残らなかった山伏たちも多くいたはずだ。

こうしたことから、山伏姿で羽団扇(はねうちわ)を持った赤ら顔で鼻が高い「天狗」そのものも、山奥に住み、人間とは全く隔絶された、正体不明の恐ろしい存在ではなくなり、ある意味「近い」、なおかつ、人間に害を及ぼすばかりではなく、時にご利益をもたらしたり、逆に様々な災いから守ってくれたりする「益神」的存在に変容していった。

村を救ったとされる天狗は、実は山伏だったのではないかという説

これらのことを勘案すると、村人を救った権現台の「天狗」は、実は妖怪ではなく、山を降り、人々を救うことを生業としていた山伏のひとりだったのではないだろうか。そしてその山伏は、江戸後期の北馬場町の仙杖院のように、「地に足がついた」格好で「法力(ほうりき)」を用いていたわけではなく、「いつも、どこにいるのかわからない」「誰なのか、よくわからない」状況で、あちこち飛び回っていたことから、いつしか妖怪の「天狗」として村人たちに認識されてしまい、そのまま後世に語り伝えられていったのではないだろうか。

何故そのようなことが起こったのか。それはひとえに、火事も疫病も、今の我々が恐れる以上に、江戸時代の人々にとっては、「死」に直結する恐ろしいものだったからだ。しかも江戸時代は、戦国時代のような戦乱や政情不安がない、「天下泰平」の世が長く続いていた。そんな中、天狗は当時、羽団扇で火を自由に操り、火事を起こすと考えられていた。住宅が狭い場所に密集していた江戸市中においては、ちょっとでも火が出ると、木造建築の家屋がすぐに燃え落ちてしまうばかりではなく、延焼し、町中が火の海に化してしまう。疫病にしても、今日のように原因菌が突き止められ、それによる予防策や特効薬があるわけでもなかった。火事や疫病などは全て、得体の知れない「疫神」の仕業とされた。その結果、人々の不安な心は、様々な「神々」を信仰し、一心不乱に「死」に連なる災いを祓うことに傾注したのである。

江戸時代の人たちが、災いを追い払うためにしてきたこと

例えば、斎藤月岑(げっしん、1804〜1878)の地誌『武江(ぶこう)年表 続編』(1882年)には、幕末期の安政5(1858)年の8月から9月にかけて、江戸の表玄関だった品川沖から上陸したと思しき、コレラが大流行した。江戸市中で亡くなった人々は7800人にも及んだ。そのうちのおよそ4割が、品川沖沿岸や品川宿の人々だったという。

そのため、コレラを恐れた人々は、鎮守社のお神輿や獅子頭を担いで歩き、街角のいたるところにケガレを祓う斎竹(いみたけ)を立てるばかりでなく、軒先に注連縄を張り巡らせたり、提灯を灯したりした。更に路上には、秩父の三峯(みつみね)神社を勧請した小さな祠を建てたり、節分の夜のように豆をまいたり、正月の門松を立てたりする人もいた。またある人は、天狗の顕現を目の当たりにしたため、疫神を祓うおまじないとして、天狗の羽団扇によく似たヤツデの木を軒に吊るすように言いふらし、それに倣う人まで出たと書き残されている。

信仰の対象ではなくなった天狗だが

現代の天狗はもはや、妖怪と認識されてはいるものの、江戸期の人々のような、恐ろしくもあり、同時に幸いをもたらすものとして、特別な信仰対象になっているわけではない。その態度もまた、いつ自分が死んでしまうかわからない戦乱の世というわけでもなく、「死」そのものがある程度、医学や疫学・薬学の進歩によって「遠ざかっている」、今の時代を色濃く反映したものである。とはいえ、令和の時代には、天狗はどのように変貌するのだろうか。

様々な科学技術は今以上に進むことだろう。それによって「死」は今以上にますます、日常生活の中から遠ざかり、人々はそれの「恐ろしさ」を考えることもなくなってしまっているはずだ。とはいえ、我々人間は、「死」を決して避けることができない。不安にかられ、都合のいいときだけ、「死」を先伸ばしにするべく、神仏におすがりするのではなく、必ず迎える「死」に対して、心の準備をしつつ、古くからの言い伝えを有する、大井蔵王権現神社のような小さな神社にすら、崇敬の心を忘れないようにしたいものだ。

参考文献

■東京都品川区(編/刊)『品川区史 通史編 上巻』1973年
■三浦譲(編)『全国神社名鑑 上巻』1977年 全国神社名鑑刊行会・史学センター(刊)
■品川区文化財研究会/東京にふる里をつくる会(編)『東京ふる里文庫 16 品川区の歴史』1979年 名著出版
■柴田光彦「天狗」乾克己・小池正胤・志村有弘・高橋貢・鳥越文蔵(編)『日本伝奇伝説大事典』1986年(619−620頁)角川書店
■塩入伸一「権現」「権現信仰」古田紹欽・金岡秀友・鎌田茂雄・藤井正雄(監修)『佛教大辞典』1988年(315頁) 小学館
■小峯和明(校注)『新日本古典文学大系 36 今昔物語集 四』1994年 岩波書店
■品川区教育委員会(編・刊)『しながわの史跡めぐり』1997年
■吉元昭治『日本神話伝説伝承地紀行』2005年 勉誠出版
■大島建彦「疫病神」福田アジオ・神田より子・新谷尚紀。中込睦子・湯川洋司・渡辺欣雄(編)『精選日本民俗辞典』2006年(84頁)吉川弘文館
■坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋(校注)『日本書紀 四』1995/2016年 岩波書店
■杉原たく哉『天狗はどこから来たか』2007年 大修館書店
■久保田裕道『「日本の神さま」おもしろ小事典』2008年 PHP研究所
■大島建彦『疫病と福神』2008年 三弥井書店
■川副秀樹『絵解き・謎解き 日本の神仏』2010年 彩流社
■冨川武史「大井の湧水と水神」品川区(編・刊)『品川区史 2014 歴史と未来をつなぐまち しながわ』2014年(330−333頁)
■村山修一「権現」今泉淑夫(編)『日本仏教史辞典』1999/2016年(351頁)吉川弘文館

ライター

鳥飼かおる

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