2019年4月30日をもって天皇陛下が退位され、上皇となって公務を皇太子さまに引き継がれる。そのため、皇室関連のニュースが連日報道されているが、1月7日、即位30年を迎えられた陛下が、昭和天皇三十年式年祭「山陵の儀」のため、東京都八王子市にある武蔵野陵を参拝されたというニュースを見て、私は、恥ずかしながら初めてこの武蔵野陵に昭和天皇が眠っている事を知った。そして、天皇の墓所や歴史についても知っているようで知らなかった事に気付き、これを機に少し調べてみた。
古代から現代までの天皇陵の変遷
天皇の墓所は「天皇陵」と呼ばれ、天皇、皇后、太皇太后、皇太后の墓所を「陵」と呼び、皇太子や親王などの墓所は「墓」と呼ばれている。
天皇陵と言えば古代に造られた古墳のイメージが強いが、前方後円墳のような大古墳の造営は7世紀頃に終わり、その後は大陸の影響を受けて、方墳、円墳、八角墳など、様々な形に変化して行く。さらに仏式が取り入れられ、石造塔形式の陵墓となった。
幕末に尊王攘夷が盛んになると、天皇陵にも王政復古の影響が及び、1867年に孝明天皇が崩御した時、古代の古墳のような墳丘が復活した。明治天皇の伏見桃山陵も上円下方墳であり、この伏見桃山陵の形が昭和天皇も眠る武蔵野陵墓地に引き継がれた。武蔵野陵墓地には昭和天皇陵だけでなく、大正天皇陵、貞明皇后陵、香淳皇后陵も造営されている。
天皇家の埋葬の歴史
埋葬方法は、古代から平安時代初期頃までは土葬であったが、703年に崩御した持統天皇の時、初めて火葬が行われた。その後は土葬、火葬のどちらも行われるが、1654に崩御した後光明天皇から昭和天皇までは土葬となっている。
世界遺産を目指す仁徳天皇陵
大阪府堺市にある大仙陵古墳は、宮内庁より仁徳天皇陵と治定されている日本最大の前方後円墳だ。この大仙陵古墳を含め「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産登録を目指している。
大仙陵古墳は、上空から見ないと前方後円墳の形を確認する事は出来ないが、外周を一周したらヘトヘトになるのでその広大さが実感出来る。外堀の所々に「宮内庁」という看板があり、ここは御陵なんだなと実感する。ヘトヘトになって正面に辿り着くと、そこにはあまりにも静謐な空間が現れる。鳥居の向こうに見えるこんもりとした墳丘には、やはり何か神々しいパワーを感じずにはいられない。なにせ電気も車もない時代に、人力だけでこれだけのものが造られたのだ。その意思の力が今も静かに宿っている。
古代の古墳が、こんな街中でその形を守って来られたのは、やはり宮内庁の管轄によるところが大きい。しかし、ピラミッドなどと違い、現在も存続している皇室の墓所のため、調査や発掘が進まないといった一面もある。そんな中、2018年10月から12月にかけて、宮内庁が初めて外部機関である堺市と共同で発掘調査を行った事は非常に画期的であった。
埋葬は400年ぶりに火葬に決定した天皇皇后両陛下の思い
2013年、宮内庁は天皇・皇后両陛下のご意向により、埋葬を火葬にすると正式に発表した。400年ぶりの事である。また、お二人の陵は規模を縮小し、寄り添うような形で造られる事も決定している。これらは、今の社会では土葬より火葬が適している事や、土地の不足を考えての両陛下のご意向だという。また、両陛下の葬儀や埋葬に関して、事前に発表される事も異例の事であった。両陛下のお人柄が伝わってくる発表だと思った。