かつて日本で「宇宙戦艦ヤマト」というアニメが放送されていた。これは、人類を守るため宇宙船で、長期に渡って航海するというシナリオである。このアニメのワンシーンに、乗員が死んだときに遺体を棺に納めて、宇宙船から宇宙空間へ流すという場面が存在する。この遺体を宇宙空間へ流すという葬式方法は、長年アニメだからこそ許される架空の葬式方法であるとされてきた。ところが驚いたことに最近になって故人の遺骨をロケットに載せて散骨する宇宙葬という言葉を耳にする機会が多くなってきた。アニメだからこそ許されていた架空の葬式が、今や現実で行われている。
高貴な宇宙葬から庶民の宇宙葬へ
宇宙葬が最初に行われた歴史は1997年まで遡る。当時の宇宙葬は科学調査と同時に行われることが多く、費用も莫大であったため、一部の著名人しか行うことができなかった。当時宇宙葬が行われていた背景には、生前の自分の権力を死してもなお誇示したいという思いと、他の人となにか違うことをして成し遂げたいという思いがあったとされている。余談だが、最初に宇宙葬を行なった著名人は、アメリカの人気SFドラマシリーズのプロデューサーを担当していたジーン・ロッデンベリーや、ティモシー・リアリーなどである。このように、莫大な費用がかかる宇宙葬は一部の著名人に限られていた。
ところが近年になり、費用が格安になったことで一般人も宇宙葬を行うことが可能になった。一般人が宇宙葬を行う背景にはいつまでも天国から見守りたいという考えがあるとされている。このように当初、著名人しか行うことができなかった宇宙葬は近年一般人でも行うことができるようになった。
宇宙葬に対する批判
このように、近年一般的になってきた宇宙葬だが、批判の声もある。いくら一般人でも手を出せる価格になったからといっても、他の葬法に比べると莫大な費用がかかることは紛れもない事実である。そこで、宇宙葬を謳って法外な利益を上げようとしているのではないかという声がある。これは、宇宙まで行って散骨することに価値を見出せないということである。また、宇宙葬のみならず散骨そのものが禁止されているカトリック教では宇宙での散骨は言語道断であるとして批判を強めている。その他にも、ロケットの制約上重力圏を脱出できないため、地球周回軌道に乗ってスペースデブリの増加につながる、すなわちゴミの増加につながるという批判が後を絶たない。こうすると、宇宙葬が批判される背景に、費用と宗教上の問題が絡んでいることがわかる。
宇宙葬の今後
アニメだから許されていた架空のお葬式が現実で行われるようになると、長年権力を誇示するための道具として利用されてきた。だが、近年費用が格安になったことでこの意味合いは薄らいできた。確かに他の葬法に比べると莫大な費用がかかるという批判や宗教上の観点における宇宙葬に対する批判など、さまざまな批判がある。ただ最後に尊重すべきは天国から見守りたいという故人の遺志であろう。宇宙葬を望む故人の遺志には費用や宗教上の問題といった概念は無いはずだ。故人にとっては、ただみんなを天国から見守りたいという思いだけである。このみんなを天国から見守りたいという故人の気持ちこそが宇宙葬そのものではないだろうか。