人は死んだら天国へ、もしくは地獄に落ちると言われている。それはどのようなところなのだろうか?今時、そこまで真剣に、あの世の世界について信じている人はあまり多くはないだろうが、自分が死んだら一体どうなるのか?という疑問を抱かない人間はいないだろう。
天国はどんな場所なのか
キリスト教の聖書には、天国は「神の御国」と書かれていて、神によって完全な公平性と正義、秩序が保たれた世界とある。悲しみも苦しみも存在せず、幸せな場所らしい。
一方仏教において天国とは極楽浄土のことを指す。そこには七宝の池という宝が数え切れない宝の沈む池があり、池の水もご利益のある(具体的にどういうことなのかはわからないが)水だという。極楽浄土の樹木も金や銀、瑪瑙で作られていて、これら宝木は並木であり、宝石で編まれた網がかかっているのだそうだ。この網を羅網という。こういった極楽浄土の風景については、「大無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」に記されている。
このようにキリスト教の言う天国と比べて、日本でいう天国、つまり極楽浄土はだいぶ具体的であり、宝で埋め尽くされている点など、案外俗物的である。そもそも仏教において人間は輪廻転生に囚われていて、悟りによって輪廻転生の枠組みから超越する、いわばこの世からの解脱をすることによってのみ、極楽浄土にいける。死ぬだけではだめなのだ。キリスト教は基本的に信仰があれば天国にいけるものの、信仰がなければ地獄に落ちる。
地獄はどんなにつらいのか
地獄に落ちろという悪口、または捨て台詞が存在するが、相手に悪意を向けていることは確実だ。これは相手がどんな目に会うことを期待した言葉なのだろうか。キリスト教でいう地獄では永遠に消えることのない炎があり、神を信じずに死んだ人間はそこで焼かれる。日焼けサロンも真っ青である。霊体であるため死ぬことはできず、永遠に身を焼かれる苦しみを味わうことになるそうだ。
仏教はどうだろうか。キリスト教では地獄は地下に存在する世界らしいが、仏教には明確に地獄という場所があるわけではないという。それでも八大地獄というものがあり、八つの階層があり、下に行くほど生前で重い罪を犯している人間が送られる。具体的には、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、無間地獄の八つだ。
最も軽いとされる等活地獄では、生前に人殺した者が堕ちる。ここに堕ちると、なんだかイライラしてしまい、等活地獄に落ちたもの同士永遠に争い続けるそうだ。4番目に軽い叫喚地獄は、生前人を殺し、盗みをし、さらに性犯罪を犯し、酒を飲むと堕とされる。ここでは鬼にいびられながら鍋に投げ込まれ煮られたり、溶けた銅を口に流し込まれるという。
異なる地獄観
キリスト教が永遠の幸せ、終わりのない苦痛としているのとは対照的に、仏教の天国も地獄もやたら具体的で、まるで見てきたかのような細かい描写が伝えられている。死後の世界が実際にあるかどうかはわからない。死なないといけないからだ。しかし、なぜ死んだ人しかいけない場所が今生きている人々に伝わっているのだろうか?大変興味深い限りである。