「直葬」という葬儀の形式をご存知だろうか。一般の会葬者をお断りする「家族葬」よりも更に簡略化された形で「火葬式」や「荼毘式」とも呼ばれる。遺体を自宅か斎場に運び一晩過ごし、翌日葬儀を執り行わずに火葬場へいきそのままお別れをする流れになる。もともとは生活困窮者や身元不明の死亡者のための措置だった「直葬」が近年一般的な葬儀の選択肢の一つとなってきている。それも本人たっての希望で選ばれているのだから驚きだ。
死後も自己責任
最近「終活」という言葉がすっかり社会に浸透してきた。人生を終える準備を指す言葉だが、そもそも昔は死を連想させる言葉を口にする事でさえ憚られていたのではなかったか。例えば葬儀場の見積りを出してもらう事を当人が知れば「縁起でもない」と嫌な顔をされたものだ。生きている内から死後の想定をされているのだから当然良い気分はしないだろう。しかし、いつの間にやら生前の葬式についての話など縁起でもない、という年配者はほとんどいなくなり寧ろ積極的に取り組もうとする年配者が増すばかりである。葬儀代の出所が喪主(遺族)から故人へと移ろい、従って本人が希望する葬式プランを生前に組み立てておく事が主流となってきているのだ。
他業種の葬儀業界への新規参入
高齢化率の上昇に伴い死亡人口も2040年まで上がる一方だと言われている。マーケットの拡大を見込まれ他業種から葬儀業界への参入が続いた。「死」にまつわる事なのに、と些か違和感を感じるのだが葬式はいまや商品化されているのである。例えばどの葬儀会社のHPを開いてみても必ず複数のコースが用意されている筈だ。葬儀プランの多様化や価格競争が進む一方で冒頭でも記述した「直葬」などの葬儀の簡略化を考える人が増加している。しかしもし親から「焼くだけでいいから。」と言われても子の立場からすると応諾しかねるところがある。しばらく会っていないが親しくしてきた人たちと、その死を共有しなくていいとも言い切れない。その一方で自分の葬儀を考えると「直葬でいいや」という意見が少なからずある。
必ず陥るジレンマ
そして「葬儀」とは誰のためにあるのか、という問いに突き当たる。葬儀を人生の幕引きの場としてとらえるならば故人のためのものになるが、故人とのお別れの場としてとらえるならば遺族のためのものになる。どの角度から捉えようと試みても結局ジレンマに陥る。故人と遺族、双方の妥協点を探る為にも生前にしっかりと葬儀について話し合う時間を作る事が大切なのではないだろうか。