沖縄の葬儀は独特な慣習が多いが、墓の形状も他の地方にはない沖縄特有のものがある。上からみると亀の甲羅のような巨大な墓「亀甲墓」が有名だが「破風墓」といい、一般的な墓石を置く墓よりも大きい家型の墓も多く見られる。三角形に尖った破風型の屋根を持つ事からこう呼ばれているが、破風墓は元々琉球王国の王室だけが造成できたようで、初めて作られたのは1501年、第二尚氏の王統時代の墓である玉陵(タマウドゥン)とのこと。それ以降庶民が作ることが許されなかった破風墓が沖縄に増えたのは、1871年の廃藩置県により一般人の造成が解禁されたからだ。
巨大墓の仕組みから見る葬送儀礼
沖縄県の墓は本土のものに比べてはるかに巨大で、亀甲墓などは内部が8帖程もあり、戦時中は防空壕がわりに使っていたほどだ。
なぜここまで墓が巨大かというと、沖縄県では遺体をそのままの姿で白骨化させる風習が主流だった為、必然的に巨大な墓が必要だったのだろう。
亀甲墓の内部は部屋の区切りがない為、墓に入るとすぐに「シルヒラシ(汁を乾かすところの意)」という遺体を安置し風葬する床のスペースがある。奥が階段状になっており、ここに遺骨が置かれる。シルヒラシに置いた遺骨が白骨化すると洗骨し、階段の上に安置する。新たな遺骨を安置するときにはそれまであった遺骨を一段上へとあげるのが一般的だ。
一方で破風墓の内部は中室、東室、西室の3つに別れている作りだ。中室がシルヒラシになっており、洗骨後の遺骨は東室、西室へと振り分けられて納骨される。このような葬送儀礼を墓の内部で行う為、沖縄県の墓は本土に比べて大型になっているのである。
墓前でのしきたり
沖縄県の墓は概して村単位、一族単位の協同墓であり、これも墓を巨大化させる要因になっている。
さらに檀家制度というものが無かった為、寺院の限られた敷地内の墓地に墓を作らなくてよかったことも墓を大きくすることの遠因となっていたようだ。
春には清明祭という墓参りの儀式があり、この時に墓前で宴会をするしきたりが今でも残っており、墓の前庭も広く作られている。また、八重山諸島では旧暦の1月16日に十六日祭りという行事があり、墓前に家族が集まって朝から飲んだり食べたり踊ったりもする。
住宅地と墓地の境目がない沖縄県
沖縄県では昔から家の敷地内に墓を作る習慣があった為、住宅地に突然墓が現れるということも多いようだが土地の子供にとってはいい遊び場となり、大人にはいい宴会場になったりと墓が生活の身近な存在になっている。
そんな沖縄県の墓も火葬の普及と共に年々小さくなっているという。それでも本土の墓に比べれば依然として大きいのには変わりないのだろう。
皆さんも沖縄を訪れる際に住宅街など見てみると巨大な墓を目の当たりにできるかもしれない、だがくれぐれも私有地内への侵入は慎んでほしい。