古い日本家屋や、それらの写真・図面などを見ると、仏壇を置く場所に、大きく分けて2種類の特徴があることに気付く。具体的にいうと、仏壇が置かれる場所が「その家の居住者が、普段の生活をするプライベートな場所」である場合と「客間のような、居住者でない人々が訪問した際に通される場所」に、二分されるわけである。
更には「居住者が生活する場所」に仏壇が置かれる場合、しばしば「神棚」も同じ部屋に造り付けられている。一方「訪問者が通される場所」に仏壇が置かれる場合には、神棚は同じ部屋に配置されることはやや少なく、時には神棚を祀ること自体を、想定していないと推定される家屋もある。
浄土真宗とそれ以外の宗派で異なる仏壇の配置とデザイン
この仏壇・神棚の祀り方の違いは、なぜあるのだろうか。実はこの違いは、信仰する宗派の違いが大きな理由である。結論からいうと、「訪問者が通される場所」に仏壇が置かれるケースは、浄土真宗に多く、「居住者の生活の場」に置かれるケースは、それ以外の宗派に多い。
そして、仏壇の見た目も、浄土真宗とそれ以外の宗派では、異なるケースが多い。浄土真宗の仏壇が、黄金を散りばめた「金ピカ」仏壇であるのに対し、その他の宗派では、余りきらびやかではないタイプが多い。サイズも、浄土真宗の仏壇は大きいものが多いが、その他の宗派の仏壇は小型のものが多く、且つ下の部分に線香や数珠などを入れておく引き出しがあることが多い。但し、これはいわゆる「伝統的な」タイプの仏壇に関してであり、現代のライフスタイルに合わせて作られた仏壇に関しては、この限りではないが。
浄土真宗の仏壇が客間に配置される理由
こうした、仏壇を祀る場所や仏壇の見た目の違いは、基本的に浄土真宗とその他の宗派の「仏壇というもの」の位置付けの違いに由来する。
浄土真宗では、仏壇は「人智を超えた尊い存在」である、実質的唯一神の阿弥陀如来を信仰する場であり、きらびやかな見た目は、阿弥陀如来が治める死後の楽園「極楽浄土(仏国土)」を再現したものとする信仰がある。日本中世史に関心のある方に馴染みのあるイメージでいえば、岩手県にある中尊寺金色堂のような意味合いである。
同じ空間に神棚を祀らないケースが多いのも、一つには、この信仰のためであった。「日本人は、同じ部屋に仏壇と神棚を祀ることに違和感を持たない」とよくいわれる。しかし、これは少なくとも、浄土真宗を信仰する人々に関しては、当てはまらない傾向があるといえよう。
そして浄土真宗では、伝統的には、門徒(浄土真宗の信者をこう呼ぶ)が、一般の家で行う寄り合い行事が、他の宗派に比べ多かった。「訪問者が通される場所」に仏壇が置かれるのは、第一にこのためであった。
最期に…
一方、その他の宗派では、少なくとも近現代では、「人智を超えた尊い神」としての仏を信仰する場というよりは、「身近な人格神」としての先祖の魂と、コミュニケーションを取る場である。
浄土真宗に比べると一見質素な仏壇が、「居住者の生活の場」に置かれる傾向や、仏壇と神棚を並べて祀るケースも珍しくないのは、一つにはこうした理由もある。