亡くなった身内や知人の形見分けでもらった、今となっては懐かしい風合いのアクセサリーを宝物にしている人は少なくない。イギリスでは、15世紀後半から19世紀末ぐらいまで、死者を悼む指輪、モーニングリングが存在した。
一見それとわからないシンプルなもの、髑髏や王冠をモチーフにしたもの、遺髪をデザインに生かしているもの、生前の写真を入れたものなど、様々なバリエーションがある。
「忘れないで」と刻印されたモーニングリング
初期のモーニングリングは主に、教会の主教がごく限られた関係者に遺したものだった。指輪の内側に、「最後の時を忘れるな」など、最後の審判を待つ、キリスト教の訓戒が刻印されていた。しかも当時は、世の栄耀栄華を空しいもの、そして罪と捉える「メメント・モリ」(死を忘れるな)の思想
から、髑髏や骸骨をモチーフにしたものがつくられてもいた。
16世紀半ばの清教徒革命以降は、一部の高位者のみならず、一般市民にも流行した。死者の名前と命日に加え、「私を忘れないで」「聖なる友情に」などの銘文が彫られた指輪が葬儀の後、参列者に贈られるようになった。しかし、19世紀半ばのクリミア戦争終結後をピークに、一部の国民的著名人や王族を除いて、モーニングリングは徐々に廃れていった。
広まりすぎたことによって廃れたモーニングリング
廃れた最大の理由、それは皮肉にも、慣習が世に広まり過ぎたことが挙げられる。
芸術的審美眼を有した富裕層が求めた、細工師の手技が光るものよりも、素材の金や宝石そのものの「価値」しか求められなくなったこと、陳腐なデザインの安価な大量生産品があふれたことによって、本来それが有していた、死者への哀悼、そしてキリスト教の警句を重々しく受け止めるためのツールという意味が消えてしまった。
また、19世紀末から20世紀初頭のボーア戦争、更に第1次世界大戦においては、戦死者がクリミア戦争の比でなく増加し、遺族の経済的負担となったためだと言われている。
最後に…
およそ400年続いたモーニングリングの慣習の中で、単なるファッションやステータスシンボルではなく、常に指にはめ、内側に彫られた死者の名前と命日、キリスト教の戒めや、「私を忘れないで」などのメッセージに想いを馳せた人が多くいたことも事実である。
イギリスを訪れるチャンスがある人はぜひ、博物館やアンティークショップで実物を見て、叶うことなら、手に取ってご覧頂きたい。死者を悼むために、日本ではどんなことがなされていたのか?自分自身は何をしてきたのか?と振り返る好機になるはずである。
参考文献:『橋本コレクション 指輪 神々の時代から現代まで 時を超える輝き』 展覧会 図録 (2014)