「超高齢化社会・日本では、葬儀業界に大きなビジネスチャンスが見込めそう」ーー説得力のある見解だが、葬儀業界では安易な業績予測を疑問視する向きもあるようだ。
確かにアベノミクスの浸透、日銀によるマイナス金利の導入といった、景気浮揚に向けた大胆な政策が為されているが、景気動向のカギを握る個人消費は今一つ元気がない。業績回復の兆しが見えだした大手企業なども、その潤いを社員やその家族に回すのを控え、専ら内部保留に傾注させているというのが現状である。
葬儀件数の増加が見込めるものの、平均単価は下落傾向にある葬儀業界
一般消費者の節約志向が当面続きそうな中、一回の葬儀に掛ける費用も極力抑えたいとの意向が強い。インターネットを中心とした家族葬サービスが、依頼件数の多くを獲得しているという事実も、これを裏付けている。
こうした現状から、市場の規模は横ばいで推移しそうだとの見方が支配的となっている。高齢化社会の到来で葬儀の件数の増加は見込めるものの、平均単価が下落傾向にあるからだ。しかし、葬儀の簡素化ニーズは、本当に節約志向という理由からだけだろうか。これは私の独断的な見方かもしれないが、葬儀に対する一般の人々の考え方に静かな変化が現われている様にも思えるのだ。
檀家制度の崩壊が最大の原因
従来だと葬儀は、僧侶など一部の特権的な人たちの独壇場だったが、こうした特権が一般庶民の手に移譲しつつあるという、何か時流の如きものを感じる。家族葬の浸透もその現象の一つであるし、最近では僧侶の派遣や法要の手配サービスなども始まっている。これは従来の檀家制度の崩壊を意味している。
法事、法要に関しては僧侶が上で檀家が下という意識が崩れ、「檀家である我々が主体者となって自由に行う」といった、大袈裟な表現をすれば、一寸した宗教改革が世間で起こっているといってもいいかもしれない。
最後に‥
折しも明年は、ルターの宗教改革五百周年で、本国のドイツはもとより、世界的な規模で展示会や祝典といった様々なイベントが開かれる予定だ。
ルターは唱えた。信仰者は悉く神の下に平等で祭司であると。今、わが国で静かに拡がりつつある”一寸した宗教改革”は、ルターの如く教会の権威を厳しく批判するものではないが、その底流においては、何がしかの一致点を見出せる様にも思えなくもない。