丁寧に埋葬されたネアンデルタール人の集団遺体が発見された際に、当時から死者を大切に葬る習慣があったことが確認され大きなニュースになった。更にその遺跡には幼児と思われる遺体に花が供えられていたことも明らかになり、大きな反響を呼んだ。
仏教説話における「死者に花を手向ける理由」
「仏陀入滅のとき十大弟子の一人だった大迦葉は遠く離れた土地にいて、そこでたまたま青蓮華の花を持った人に出会い、彼から仏陀の薨去を知らされる。大迦葉はその花をもらい受け、死せる仏陀の許に向かった。すると横たわる仏陀の上に沙羅樹の花の長い枝が垂れ下がって遺体を囲んでいた」
仏教説話では、死者に花を手向けるようになった由来をこのように伝承している。
遺跡から発見された遺体に添えられた花の痕跡
死者への祈りをこめて花を飾ったり捧げたりすることは、宗教や民族を越えて行われているものだ。
1950~60年代にかけて、イラクのシャニダール洞窟遺跡からネアンデルタール人の集団遺体が発見されまた。遺体は全て丁寧に埋葬されており、ネアンデルタール人にも死者を大切に葬る習慣があったことが確認されたのは大きなニュースになった。しかしそれ以上に世界に反響を呼んだのは、幼児と思われる遺体に花が供えられていた痕跡があったことだ。
なにしろ5万年も前の遺跡であるから、花そのものは跡形もなくなくなっていた。しかし、遺体の周囲からたくさんの花粉が検出されたのだ。白・青・ピンクの色鮮やかな草の花のものだということがわかった。
ネアンデルタール人が本当に花を遺体に添えて埋葬したのかどうかについての議論も起こったが、遺体が埋葬されていた位置が洞窟の入り口から遠かったことから、偶然に花粉が吹き込んだり、鳥類などが持ち込んだものではないことが判明し、今では、やはり遺体に花が献げられたものであることが定説化している。はるか昔から人類は死者に花を手向けてきたのだ。
死者に花を供える様々な意見
死者に花を供える意味についてはさまざまな意見がある。人類学者は、もともと遺体に添えられた花は薬効のあるものであり、遺体の腐敗を少しでも防ごうという目的から始まったのだと推測している。
現在でも関西の葬儀では樒(しきみ)という有毒の常緑樹を並べることが多いが、これは土葬が主流だった時代に墓地を荒らす動物を近寄らせない役割を果たしていたものだった。たしかにそういう実用的な理由が、遺体や墓所に植物を配置することの起源なのかもしれない。
ともあれ、何度でも再生する花や草木が生命力の象徴と見なされ、死者の新生を願うために供えられるというのが最も一般的に受け入れられている考えかただと思われる。
(ただし、仏壇や墓に供えられる仏花については、全て切り花を用いることから、華麗な花が徐々に萎んで枯れてゆく姿に「命あるものはいつかは死ぬ」という生命のはかなさを説く含みがあると考察する向きもありる)
現在の葬儀における花の役割
日本の葬儀や法要では、供花・弔花・献花・枕花・仏花など細かい分類があるが、英語の場合、シンパシーフラワー(sympathy flower)という呼称で一本化されている。
「共感のための花」ぐらいの意味だろう。
故人と遺族、故人と会葬者、さらには遺族と会葬者が死者を悼む感情を共有するためのコミュニケーション媒体なんだという捉え方をしていると思われる。
葬儀や葬祭に関する事物を合理化・簡素化していく傾向が強い現代日本でも、死者に花を手向けることについてだけは、むしろ盛んになってきている印象がある。
生花祭壇を作る技術は年々進歩し続けており、切り花を長持ちさせる工夫も発展を遂げつつある。(プリザーブドフラワーという樹脂で特殊加工した枯れない生花なども登場して、徐々に市場を拡大しています)
これからの葬儀と花の関係性
家族葬や自然葬などのコンパクトな葬儀の急速な普及の背景には、そういう葬儀方式が、本当に故人を悼む気持ちが強い遺族の心情にマッチしていたこと一つの原因と言われている。
故人が美しい花に囲まれてこの世から旅立てるように気づかう日本的なやさしさは、死者に花を手向ける行為を廃れさせることなく、今後も世代を越えて継承されていくことだろう。
※葬儀への供花の持参については、宗教上の制約や経済的理由により喪家が受け取らない意向を示すケースもあるため、事前に持参の可否を確認したほうが無難である。また、葬儀場周辺に花輪を飾ったり、弔花の種類を限定している地方もある。葬儀の際には葬儀社に予算を伝えて用意してもらうのが確実だ。