いわゆる沖縄や南西諸島と日本本土(沖縄方言では「ヤマト」と呼ぶ。以下「ヤマト」)では異なる文化が多い。
現に明治時代になる前には「他国」であった沖縄では、古くからの死者埋葬の際の習慣として「改葬(一旦墓の石室に納めた遺体が白骨化したら骨壺に納めて再埋葬すること)」が行われていた。
また、それに伴う「洗骨(改葬の際、白骨化した遺体を水で洗うこと)」の風習があったことは近代以前の沖縄史に関心のある方を中心にそれなりに知られている。
しかし「ヤマト」にはこの風習は存在しなかったように言われることもある。
沖縄と本土の葬儀の慣習の違い
しかし、「改葬」については「実は存在した」とする意見もある。
そしてそのかつて「ヤマト」に存在した可能性もある「改葬」の風習が、実は火葬の習慣が支配者層に取り入れられる過渡期の葬法としてあったのではないかとも言われているのである。現にこの時期の墓で明らかに「改葬」されたケースも報告されている。
日本古代史に関する本を読むと、貴人の墓としての古墳が小規模化しやがて作られなくなった背景として、「仏教伝来により火葬の習慣が取り入れられたから」とする記述がよく出てくる。
しかし幾ら今まで知らなかった新しい宗教を信仰するようになったからといって、その宗教で肯定的に扱われているとはいえ遺体を焼いてしまうという今までの常識ではまず考えられなかった葬法をすぐに受容できるかという問いがほとんどなされないことに、筆者は「近代以前やいわゆる辺境とされる地域の歴史を現代的常識だけで判断してしまうことの愚」を思わざるを得ない。
現代は火葬が一般的
現代日本の葬法としては火葬が極めて一般的であるが、これは実際には特に地方の一般庶民にまで普及したのは戦後の極めて新しい時代であった(現に筆者の出身地である関東地方の利根川流域では、筆者の誕生する直前の1980年代初頭まで土葬も行われていた)。
そして更に言うと、そうした土葬がより新しい時代まで続いていた地域はえてして火葬に対して現在も忌避的・否定的なイメージが強い。
このことを思うと、当時の支配者層の人々で率先して仏教に改宗した人々はいわば当時のトップクラスのインテリでもあったわけであるが、それでも火葬に対して全く抵抗がなかったとは考えにくい。
また火葬が取り入れられたのは、本当に仏教(のみ)に由来するのかという問い直しも必要であろう。
墓を小規模化する(薄葬化)ため遺体の容積を小さくすることが求められ、そのために白骨化した遺体を見ることのタブーが減っていったのではないかという説も出ている。
まさにそうした埋葬法の過渡期に、いわば遺体が目の前で白骨化するのを直視するのがまだはばかられる頃にこの改葬の風習があったのではないだろうか。
なお、日本やヨーロッパなどには早く白骨化した死者は楽園に行くことができたとする信仰が一部の地域にある(これについても今後扱いたいと思う)が、筆者はこの薄葬志向や沖縄地方での改葬や洗骨にはそうした考え方とも関連性があるのではないかと思う。