「ここにダンボール箱があります。この箱、実は郵便物なのですが、この箱の中身は一体何でしょうか」と先日の朝の情報番組で、アナウンサーが私達視聴者に問いかけた。
その箱の中身とは”骨壷”である。当然その中には遺骨が入っており、それが溢れないように蓋には厳重にガムテープが巻かれている。このように”骨壷を郵便物”として、お寺に配達する新たなサービスを”送骨”と言い、今新たな埋葬方法として注目され始めている。
何らかの事情でお墓に持って行くことが難しい方が利用する「送骨」
この送骨とは具他的にはどういったものなのか。調べによると「何らかの事情でお墓に持って行くことが難しい」という人々が送骨サービスを利用しているらしい。
その何らかの事情というのは、個別永代供養墓が買えない、身寄り・跡継ぎがいない、あまりお金をかけられない、納骨に困っている、など如何にも現代社会の”お墓事情の実情”を窺い知ることができる。
実際に送骨サービスを利用したことのある方によれば、20年間父親の遺骨を自宅に保管し続けており、自身も病気のために菩提寺にはなかなか足を運ぶのが難しかったそう。そしてラジオで送骨という埋葬方法を知り、お寺さんに父親の遺骨を配達。そして供養をしてもらったとのことである。
良い意味でも悪い意味でも、生まれるべくして生まれた「送骨」
送骨という新たな埋葬方法を便利の一点のみで捉えるのは少々不安がある。
その便利さの裏側には、送骨という埋葬方法を選択せざるを得なかったという現実が浮かび上がってくるからである。
本来であらば、菩提寺である寺院に足を運び、そこで49日を以って納骨を行う。そして供養のためにまた手を合わせに足を運ぶ。しかし、それが難しくなっているということが一般化しつつある現状に目を背けることはできない。送骨とは「より多くの人がお墓に入り、供養されるように」という面以上に、「そうせざるを得ないが為の方法」という性質を持ち合わせている。サービスと言えば聞こえは良いが、現代が生んだ苦肉の策という性質の方が強いように私は思う。
疑問を感じる方がいる一方で、助かっているご家族がいることも事実
”苦肉の策”というネガティブさに関連しているわけではないが、やはり送骨という埋葬方法に否定的な考えを持っている人たちがいるのも忘れてはならない。
遺骨をモノ扱いすること、戒律を破りかねないこと、死者の尊厳など、否定的な意見も頷けるものが多い。しかしながら、それでもどうにか供養をしてあげたいという遺族の気持ちを否定することが果たしてできるだろうか。ましてや、行き場を失っていた、或いは失いかねなかった遺骨を安堵させる、その行為自体は直参の納骨と何ら代わりはないではないだろうか。送骨の依頼主に責があるとするならば、その背景を無視することはできないということを重ねて忘れてはならない。
送骨が認知されればされるほど、現代のお墓事情が明るみになることは間違いない
現状では、送骨に関して、多くの方は素直に賛成できないのではないかと推測される。
しかし、実際に送骨をすることによって死者も遺族もようやく安心を得られている。送骨を請け負うお寺の住職は、これがお墓を考える良いきっかけになればと話している。送骨という埋葬方法に完全に理解が得られる日が来るとするならば、その時は今よりも悲しい現代のお墓事情が白明に晒される時かもしれない。多様化する埋葬方法は現代社会の鏡といってもいいかもしれない。