「祇園精舎の鐘の声〜」で始まる平家物語の冒頭を飾る名句。「祇園精舎」は釈迦が説法をした建物だが、その一角に余命間近の僧が最期の時を迎えるための部屋があった。祇園精舎の鐘はその部屋にあったという。

祇園精舎とは
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理を表す
聞いたことのない人はほとんどいないのではないかと思えるほど有名な文であるが、その大意は仏教の知識が無ければ難しいかもしれない。祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)とは、インドのコーサラ国で釈迦が説法を説いた僧院で、沙羅双樹は釈迦入滅の場所に生えていたと伝わる木。諸行無常はすべてのものは変わりゆく、変わらないものはないという、仏教の教えの根幹ともいえる無常観。平家一門の栄華と滅亡を通してこの世の無常を説いた物語の内容を表した名文である。祇園精舎はコーサラ国のスダッタ(給孤独長者/ぎっこどくちょうじゃ)という釈迦に帰依した長者が、釈迦に寄進するために、ジェーダ王子(祇多太子/ぎだたいし)から土地を買い取って建立したものである。
祇園精舎建立物語
祇園精舎を語るうえで、その建立物語に触れないわけにはいかない。釈迦の教えを知り帰依したスダッタは釈迦と教団に寺を寄進したいと、その候補地を探すと理想的な場所が見つかった。そこはジェーダ王子の所有地だったのである。スダッタは王子に土地の買い取りを求めるが拒否される。なおも懇願するスダッタに王子は、その土地を黄金で敷き詰めればその分の土地を売ろうと無理難題を押し付けた。するとスダッタは意気揚々として、家財を売り払い全財産を黄金に変えて土地を敷き詰めた。仰天した王子はその行動に感銘を受け、残りは釈迦への布施として自分が出すと言ったのだった。
余談だが手塚治虫の「ブッダ」にはこの下りをもう少し掘り下げて描いている。土地を金貨で敷き詰めようとしたスダッタだが、ほんの一角を埋めたのみで底が尽きてしまった。スダッタは、「一生をかけて稼いだ財産がこんなものか」と心が折れた。後日、王子がやってきてスダッタに降参すれば金は返してやると言った。ところが、無一文になったのに、どこか清々そうな顔をしているスダッタはこう返した。「今までは金を取られるのではと心が休まる日がありませんでした。でもすべてを手放した今は、心が軽く晴れやかな気持ちです。金貨はいりません。いつか必ず敷き詰めてみせます」。ジェーダは強がりだと思い金貨を一枚投げ捨てた。するとスダッタはこれを拾い走り去った。王子はそれ見たことかと追いかけると、スダッタはその一枚を嬉しそうに金貨の列に加えた。ジェーダは負けを認め土地を譲ることにした。なお「祇園精舎」の正式名は「祇樹給孤独園精舎」。ジェーダ王子とスダッタの名を取り名付けられたものである。
釈迦のホスピス
恵心僧都源信(942~1017)の「往生要集」によると、この祇園精舎の西北の一角、太陽の沈む方向に、無常堂という余命いくばくもない僧が往生するための施設が存在した。現代でいうホスピスである。終末期を迎えようとしながらも、従来の僧房にいては様々な煩悩を呼び起こす物が多く、衣服や食器などの日用品はこの世への執着を刺激する。そういったことから解放し静かに臨終を迎えるための堂であった。その四隅には白銀と水晶の鐘があり、病僧が臨終を迎えようとするとき、その鐘が自然に鳴り、鐘に彫られた金毘羅(ワニの姿をした神)が、無常・苦・空・無我を説くという。僧はこれを聞いて安らかな死を迎え、極楽浄土に生まれ変わることができたと伝える。「往生要集」は以上のように述べているが、実際には釈迦が存命時の祇園精舎に鐘は実在しなかったようである。
仏教と終末期ケア
仏教と医療・看護の関係は深い。奈良時代では光明皇后の施薬院が有名である。そして、源信自身、病人を移して臨終に備える、奈良時代のホスピスといえる「往生院」を建てている。そこでは看病や臨終に備えての念仏会「二十五三昧会」(にじゅうござんまいえ)などが行われた。また、宮中には「看病禅師」という僧侶たちがいた。彼らは祈祷によって病気の平癒を祈る役目を担った。鎌倉時代以降、看病禅師の名は姿を消すが、叡尊(1201〜1290)忍性(1217〜1303)など、看護・救援に従事した僧侶は多い。一部の上流貴族からは加持祈祷などの魔術的な力による病気治癒が期待されたが、死は避けられない以上、魔術にしろ医学にしろ、その人の寿命が尽きるまでの延命術に他ならない。仏教の役割はすべては無常であることを悟らせることに尽きる。釈迦が説法する無常堂で行われたのは、まさにそのような行為だったのではないだろうか。
諸行無常の鐘の声
西に沈みゆく夕日に寺の鐘が鳴るとき、祇園精舎に思いを馳せる人たちの風景にも鐘が鳴り響いていただろう。祇園精舎は後に荒廃し、玄奘三蔵が訪ねた7世紀には廃墟と化していたという。そもそも建立された経緯からして、スダッタが全財産を投げうち無一文になったにも関わらず、物欲からの執着から解放されたことから始まった。まさに精舎そのものが諸行無常を表していたのである。
参考資料
■源信 著/石田瑞麿 訳注「往生要集(上)(下)」岩波書店(1994)