人は、その体や頭脳に実に様々な情報を持っている。体の動かし方から職業が見えるし、どこかを痛めていればそれも分かる。その人が生きてきた背景、文化も教えてくれる。それは遺体となっても変わらない。歴史的、考古学的に貴重な資料となりうる遺体は、世界各地で発見されている。その中の数例を、お伝えしよう。
世界最古のお墓から子供の遺体
アフリカはケニア、その洞窟から約7万8,000年前のお墓が見つかった。アフリカで発見されたものとしては最古となるそのお墓に埋葬されていたのは、2、3歳の子供だった。その状態は、埋葬用に彫った穴に遺体を埋め、土で覆うという明らかにお墓として用意されたことが分かるものだった。この子供がどんな経緯で亡くなったのか、まだはっきりとしていない。しかし、この子供が周囲に愛され、大切に思われていたことは間違いない。動物の皮のようなもので作られた布でていねいにくるまれ、頭部は枕のようなもので支えられていた痕跡があったのだ。7万8,000年前のホモ・サピエンス、私たちの祖先というべき彼らの時代に、すでに人の死に際して葬儀を行うという意識があったことは、驚嘆すべきことだろう。
4000年前の欧州を治めた女王
スペイン南東部で発見された、約4000年前の女性の遺体。彼女が、実は欧州の一国を治めていたのではないか、という話が出てきている。彼女の遺体とともに、もう一体男性が埋葬されていたが、彼はおそらくその配偶者と見られている。装飾品などから見ても、女性の方が社会的に上位にいた可能性がある。もちろん、実際は王の妻であったという考えも捨てきれない。しかし、この地域で繁栄していた文化では、男性よりも女性の方が早く成人と見なされていた。たとえ10歳に満たずとも、女の子が亡くなれば、ナイフなどとともに埋葬されていた。また、身分の高い女性は、ほかの女性より多くの肉を食べていたとされる。これらを考えると、やはり女性が政治的権力を保持していたのでは、と推測するのは自然なことだろう。これまで国家権力イコール男性優位とされてきたのは事実であり、また現代でもその傾向が強いままだが、そこに一石を投じる発見であることは間違いないだろう。
小鳥の頭を口に詰められた300年前の少女
こちらは南ポーランド、トゥネル・ヴィエルキ洞窟。ここから発見された少女の遺体は実に奇妙なものだった。彼女の口の中に、小鳥の頭部だけが詰め込まれていたのである。彼女はおよそ300年前に亡くなったとされる。小鳥の頭が詰められていたのもさることながら、中世ヨーロッパでは洞窟埋葬は存在していなかった。少女の遺体、状況ともにきわめて例外であることが分かる。彼女の死因ははっきりしていないが、代謝性疾患を持っていたことが分かっている。もしかしたらそれが関係しているのかもしれない。おそらくは戦争中家族とともにやってきて、発見現場となった森の中で亡くなったのでは、とされているが、謎は多い。小鳥を子供の魂の象徴とする文化は多いが、それだけでは説明がつかない。少女に何があったのか、調査は今も続いている。
硬貨をくわえた子供たち
六文銭といえば、「三途の川の渡し賃」を連想する人は少なくないだろう。真田家の家紋がそれを意匠化したものだという話は、数年前の大河ドラマ放映の際、少し話題にもなった。実は、ポーランドでは100体近くの遺体の口に、硬貨がくわえさせられた状態で発見されている。彼らはみな子供だった。これは古代ギリシャから続く風習、「カロンの渡し賃」を模したものであることが分かってきている。カロンとは、ギリシャ神話に登場する人物のこと。人は死後、冥界の河を渡る。カロンはその渡し守の役割を持ち、死者は渡し賃として1オボロスを支払う。これを支払えなければ、渡河を後回しにされ、200年ほどあたりをさまようことになる。遺体の状態や、発見された場所などから見て、子供たちのための墓所だった可能性が指摘されている。彼らがいたコミュニティでは、子供がとても大切にされていたとも推測されている。ただし、棺やそれに使われる釘などは見つかっておらず、非常に貧しかったとみられる。しかし、子供たちが死後さまよわぬようにという埋葬者たちの想いには、深く胸を打たれる。
遺体から新たな情報が得られたとき、遺体は再び蘇る
人が生きてきた中には、その人のすべてが詰まっている。つまり、人が生きた、それこそが歴史だといえよう。そして遠い未来、私たちの遺体を調べる誰かがいたなら、そこから情報を得たその手の中で、文化つまり私たちはふたたび蘇るのだ。