もしも自分に残された時間が少ないと分かったら、人はどのようにその瞬間へ向かうのだろうか。そこには、どのような心の変化が生まれるのか。
今回は、キューブラー・ロス著「死ぬ瞬間」を参考として死への過程を紹介し、精神保健福祉士(精神科ソーシャルワーカー)としての筆者の見解と共に記す。
キューブラー・ロスが唱えた死への受容モデルとは
死への過程における心の変化は、精神医学の分野において学ばれる概念である。加えて、看護や福祉の現場においても、限られた時間を過ごす人のメンタルヘルスを理解する上での重要な考え方となっている。
アメリカの精神科医であったキューブラー・ロス(1926-2004)は、著書『死ぬ瞬間』の中で、死への過程を5段階の心の変化に分けて論じている。その5段階とは、否認・怒り・取り引き・抑うつ・受容と表現され、各段階の概要は以下の通りである。
1〜3は否認、怒り、取り引き(祈り)
第1段階:「自分の身に起きたことではないはずだ」。自分の余命について知らされた際に見せる反応は、否認である。
第2段階:「どうして自分なんだ」。その否認は、怒りへと形を変える。
第3段階:取り引き。「治るため、生きるためなら何でもするから、頼むからこの病気を治してください」。怒りを経ると、取り引きという段階になる。特定の信仰を持つことが少ない日本人にはあまり馴染みのない感覚だろう。しかし、例え信仰を持たずとも、何かに対して祈ったことが、一度はあるのではないだろうか。取り引きは、その祈りを意味する。
4、5は抑うつ、受容
第4段階。「そうか。死は避けられないのか」。死を現実として捉え始める過程、抑うつである。絶望感を感じながらも少しずつ穏やかさを持ち始める。
第5段階。「人はいずれ死ぬんだ。」最後に行きつくのは、受容である。依然として死への恐怖心がある一方、前向きな諦観を持ち合わせていく。
死が迫っていると知った時、人はその自分に起こっている状況を簡単に理解できるだろうか。傍にいる人はどのように過ごせばいいのだろうか。きっと、死への過程にいる人は自分にすら振り回され、その傍にいる人はその姿に困惑することであろう。
死の取り扱いには非常に繊細さが求められる
筆者は精神科病院や福祉施設での精神科ソーシャルワーカーとしての経験がある。どんな場でも、死ぬことに関しては積極的に話される事柄ではなく、いくら慎重に言葉を選んでも、その発言の是非を評価することは難しいとされていた。ましてや実際に死が近い人に関する報告や亡くなったという報告がされたときにはなおさらである。
死を学ぶ姿勢が重要
死は、誰も経験したことがなく、キューブラー・ロスのように何人もの人の死を傍で見てきた人であっても、この5段階には個人差があり、5段階の通りにその過程が進まないことを認めている。それでも「死ぬ瞬間」を理解する必要は、死への過程にいる人の言動が人格や本性までをも揺らがすものではないことを知ることにある。
自ら望んで怒りの感情を振り回し、抑うつ状態に陥るわけではないだろう。死という得体が知れないにも関わらず逃れることができない恐怖がそうさせている。まずはその本質を知ることが重要だ。