ペットが亡くなった時、多くの飼い主が「うちの子が虹の橋を渡った」という表現をする。私も、数年前に飼っていた猫が旅立った時、同じ事を思った。現在、ペットを飼っている人の間では、ごく当たり前に使用されているこの表現だが、人間が亡くなった時には使われないし、私が子供の頃には、こんな事を言う人はいなかった。
一体、この表現はいつから定着したのだろう、そして「虹の橋」とは、どんな橋なのだろう。自分でもごく当たり前に使っていただけに、気になって調べてみた。
ペットと葬儀の関わりと進歩
私は、これまでに4匹の猫を見送った。最初の猫は生まれつき伝染病で、たったの2年しか生きられなかった。その頃はまだ今のようなペットブームではなかった為、動物用の斎場も少なく、うちの猫も、祖母を亡くした時に利用した斎場の、人間用の火葬炉で火葬してもらった。
その後に飼った2匹は18年間生きた。人間で言えば90歳近い大往生だ。年々、動物医療が進歩し、今ではペットの世界も高齢化社会を迎えている。うちの猫たちも、最期は歯が抜け、オムツになり、毎日家で点滴をするという、人間と変わらぬ介護生活を経た後に旅立った。
この2匹と、6歳で亡くなった最後の子は、同じペット用の斎場の、ペット専用の小さな火葬炉で火葬してもらった。待合室にはお骨の一部を使用したメモリアルグッズの紹介などがあり、大きな人間用火葬炉で火葬してもらった最初の子の時と比べて、この20年間でのペットの葬儀事情の進歩を実感した。
そして、彼らは人間と同じように、天国へと向かう小銭を手に、次々と虹の橋を渡って行った。
「虹の橋」の本当の意味
最初の猫を亡くした20年前、私は「虹の橋」の事は知らなかった。なので、その表現が広まったのはここ数年の事なのだろう。そう思って調べていると、私は衝撃的な事実を知ってしまった。
この表現は1992年頃、アメリカの愛犬家が作った一編の散文詩が元になっている。その詩を要約するとこうだ。
「この世を去ったペットたちは、天国の手前の草原に行く。そこで仲間と楽しく遊び回る。しかし、たった一つ気がかりなのが、残してきた飼い主のこと。一匹の目に、草原に向かってくる人影が映る。その姿を認めるなり、そのペットは全力で駆けていき、その人に飛びついてキスをする。飼い主はこうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡って行く」(引用元:Wiki)
そう、ペットたちは虹の橋を「渡った」のではなく、そのたもとで「待って」いたのだ。
この詩は、2000年代に入ってから、おそらくインターネットの普及もあって日本でも知られるようになった。そして、この頃から日本でも認知されるようになった「ペットロス」を癒す効果もあり、日本で定着するようになったと言う。
飼い主の心を救う「虹の橋」
ペットの一生は、人間の倍のスピードで過ぎ去って行く。そして、飼い主だけが常にこちら側に取り残される。その時、ほとんどの飼い主の心は、後悔の気持ちで一杯になる。「本当は苦しかったのに、気づいてあげられなかった」と。
「虹の橋」の詩は、そんな飼い主の願望を描いた一方的なエゴかもしれない。しかし、それでもやはり、私も信じている。それがいつになるかはわからないけれど、いつか橋のたもとで彼らと再会し、みんなで一緒に虹の橋を渡って行ける事を。