帰依とは?
優れた人格者、高僧などに対し、全身全霊で信じ依存し、拠り所とすることを帰依といいます。仏教用語のひとつであり、サンスクリット語の「namas」に由来。帰命または南無とも言われています。それは頭を下げて敬意を表すことを意味しています。実際に額を地につけて最敬礼することと、心の中で熱心に仏の教えに従うことの両方を含んでいると考えられています。
浄土真宗では「帰」は帰投という風に理解をしており、阿弥陀仏の願力に帰投し依憑すること、つまり阿弥陀仏の本願の力を信じるところに帰ること、そしてそれを拠り所とすることこそが信心であるとしています。
仏教で大切にされている、三つの宝、仏・法・僧のことを三宝といいます。この三宝に帰依することを帰依三宝といいます。これは仏教徒にとっては最も基本的な信仰を表す条件となっているのです。
仏とは、仏陀、つまり釈迦のことです。全身全霊で釈迦を敬い拠り所とするのです。法とは、釈迦の説いた仏法のことです。そして僧。ここで言う僧というのは、僧侶のことを指すのではなく、集団での修行僧のことを言います。
具体的には、お寺に行ってご本尊に向かって手を合わせることを、帰依仏となります。仏教の本を読んだりして、仏教を学んだら、それは帰依法です。そして僧から説法を聴いたり、お経をあげてもらうことは、帰依僧というのです。
帰依三宝は、三回唱えるのが基本です。
・「弟子某甲(でしむこう)尽未来際(じんみらいさい)帰依仏(きえふつ)帰依法(きえほう)帰依僧(きえそう)」
・「帰依仏(きえぶつ)両足尊(りょうそくそん)帰依法(きえほう)離欲尊(りよくそん)帰依僧(きえそう)衆中尊(しゅちゅうそん)
・「自帰依仏(じきえぶ)当願衆生(とうがんしゅじょう)体解大道(たいげたいどう) 発無上心(ほつむじょうい)
自帰依法(じきえほう)当願衆生(とうがんしゅじょう)深入経蔵(じんにゅきょうぞう)(ちえにょかい)
自帰依僧(じきえそう)当願衆生(とうがんしゅじょう)統理大衆(とうりだいしゅ)一切無礙(いっさいむげ)」
帰依の豆知識:南無三(なむさん、なむさんだ)
最近はあまり聞かれなくなりましたが、少し前まではアニメの一休さんなどで、一般に知れ渡るようになった「なむさんだ~」は、実はこれは南無三宝の略なのです。他には、ピンチになったときや失敗してしまったときにもよく使われていた「なむさん」。こんな風に日常に仏教の考え方は浸透していました。
三宝(三つの宝、「仏」「法」「僧」)を信じ三宝にすがりたいという気持ちは自然と人々の心の中で根付いていたのでしょうね。