陰膳とは?
家族の誰かが長い旅に出ることになった時、その者が旅の間に食事に困ることがないようにと行われていた習俗のうちのひとつです。長旅に出た家族のために、その留守の間中、食事の膳を拵えて供えるというもので、いつしかその者の無事を願うという意味へと発展していきました。
この習俗は土地によって細かい作法は違うものの、日本各地で見られました。食膳は家族が食べるものと同じものを毎日作って、その者が座っていた場所に出す場合や、床の間に改めて供える場合、またお正月や誕生日などの記念日に、その者の好物など特別な食膳を用意するところもあるようです。
食膳で供えられたものは、みんなで分けて残さずに食べるという決まりのあるところが多いようですが、これも地域によって違います。
またご飯や汁物のお椀の蓋(ふた)を開けるとその裏につゆがついていたら、その者が無事であるという吉凶の占いとしても語り継がれています。
現在のように簡単に連絡を取り合うことのできない時代においては、このような習俗が広まっていくのもやむを得ない状況であったと考えられます。長い旅の理由も、参詣や巡礼、出稼ぎ、出征などさまざまなものがありました。
今では出漁などの長旅の者に対してや、また遭難して行方不明の人に向けて無事を祈り、行われることもあるようです。
このように現在ではあまり知られなくなってきた陰膳ですが、法事の際に料理屋によっては、亡くなった人にお供えをするという意味を込めて陰膳を用意してくれるところがあります。
亡くなった人の席を用意し、位牌や写真を置いて、みんなと一緒に食事をするというものです。食事の内容はみんなと同じもので、最後にみんなでそれを分けて食べます。ただし、残さずに食べてしまわないといけないという決まり事にはとらわれすに、そのまま持ち帰ることもありますし、残したとしても問題はないという風に最近は理解されるようになってきました。
陰膳の豆知識:戦争によって復活した陰膳
もともとは長旅の祈願の意味を込めて行われていた習俗であった陰膳ですが、それが幾度となく行われた戦争によって、もともとの習俗に都合よく意味を書き替えられたり加えたりして更に広がっていったと考えられています。
それは当時の「主婦之友」のような雑誌やマスメディアの影響が大きく、一挙に全国に広まったようです。蓋(ふた)にたまったつゆで吉凶を占うなどというものがそのいい例でしょう。
陰膳は日露戦争で大いに流行り、その後また第二次大戦で大々的に復活をすることになりました。